
瓶は、冷蔵庫に入れずに、台所の隅に立てておいた。夏の終わりの台所は、日が傾いても、まだ少し暑い。
栓を抜いて、ひと口ぶんだけ注ぐ。薄い赤。光にかざすと、少し濁っている。鼻を近づけると、果物より先に、鉄のような匂いがする。
まだ誰とも目を合わせていない、帰省した日の最初の一時間みたいな匂いだ。
グラスを置いて、再生する。
暗い画面に、包丁の音が先に来る。母のとし子が野菜の皮をむき、隣で娘のちなみが、手を動かしながらよくしゃべる。大根はきんぴらに。豚は角煮に。枝豆とみょうがは、混ぜご飯に。
今日は、十五年前に海で死んだ長男、純平の命日だ。
そのころ次男の良多は、妻のゆかりと、ゆかりの連れ子のあつしを連れて、実家へ向かっている。電車もあるし、やっぱり泊まらずに帰ろうか。まだ家に着いてもいないのに、良多はもう帰りの話をしている。
少し笑ってしまう。覚えがある。
グラスは、まだ固い。

一杯の肖像
グラスを、窓のほうへかざす。
淡い赤で、少し濁っている。澄みきっていない、やわらかい赤だ。畑と蔵にもともといた酵母にまかせて醸された。
開けたては、無口だ。鉄と、かすかな火薬のような匂い。少し置くと、それがほどけて、苺とフランボワーズが出てくる。小さくて、赤くて、思っていたより華やかな香りだ。
その明るい香りの奥に、もうひとつ、少し野性的な匂いがある。干し草か、獣の毛並みのような。気づくと、もう消えない。
口に含むと、なめらかだ。果実は甘くならず、細い酸がまっすぐ通っていく。飲み込んだあと、出汁のような旨みが、舌の上に残る。赤ワインを飲んだはずなのに、台所の匂いが、口の中に戻ってくる。
新潟の海沿い、角田浜の砂の畑。カーブドッチが自分たちで育てた、樹齢二十年を超えるピノ・ノワールだ。「どうぶつシリーズ」は、造り手の掛川史人が、品種や土地の決まりごとをいったん脇に置いて、自分が本当に造りたいワインを造るための一本。
2022年の夏は、ほとんど雨だった。

なぜ、歩いても歩いても に、このワインなのか
にぎやかな食卓の下に、言わないことがある。華やかな香りの下にも、野性と、出汁がある。
午後、台所 — 開けたてのうちに
良多が玄関を上がると、家の匂いが来る。父の恭平は、もう閉じた医院の診察室から、なかなか出てこない。父は、長男に医院を継がせるつもりだった。良多は絵の修復の仕事をしていて、いまは仕事がない。そのことを、両親には言っていない。
台所では、母がとうもろこしの粒をほぐして、かき揚げを揚げはじめる。衣が油に落ちて、細かく弾ける。子どもたちが、揚がる端からつまんでいく。
母の昔話の中で、良多の小さな思い出が、いつのまにか兄のものになっている。誰も、それを直さない。
グラスの中も、まだ鉄の匂いがする。口の中で、少し角がある。着いたばかりの家と同じで、どこに座ればいいのか、まだわからない。急いで飲まない。台所の音を聞きながら、置いておく。
夕方、毎年の客 — 香りが開いてくる
墓参りから戻ると、客がある。純平が十五年前、海で助けた青年、良雄だ。毎年、命日に線香を上げに来る。
菓子折りを持って、汗を拭きながら、何度も頭を下げる。家族はみんな、やさしい。母は冷たいものを出して、笑って見送る。
玄関が閉まってから、良多が言う。もう呼ばなくていいんじゃないか。あの人も、つらいだろう。
母は、穏やかな声のまま答える。十年やそこらで、忘れてもらっては困る。だから、来年も来てもらう。
この家でいちばんやさしい人の、いちばん奥にあったものが、一瞬だけ見える。
グラスは、少し温まってきた。鉄の匂いがほどけて、苺とフランボワーズが立ちのぼる。明るくて、華やかな香りだ。けれど、その奥に、さっきは気づかなかった野性の匂いがある。明るいほうに目を奪われて、見えていなかっただけだ。
夜、うなぎとレコード — なめらかになる
夜は、出前のうなぎを取る。母が朝から作った料理も、まだ食卓に並んでいる。
その夜、母が古いレコードをかける。いしだあゆみの『ブルー・ライト・ヨコハマ』。その曲には、夫婦のあいだでしか通じない、古い話がついている。父は、何も言わない。母も、何も言わない。ただ針が、最後まで歌を運んでいく。
グラスの中は、もうすっかり食卓の温度だ。角がとれて、なめらかになっている。華やかな香りが少し引いて、そのかわりに、出汁のような旨みが前に出てくる。角煮の脂のあとにひと口含むと、赤ワインなのに、母の台所の味がする。
言えなかったことも、言ってしまったことも、同じ食卓の上で、同じ温度になっていく。
翌朝、バス停 — 底のほう
帰る前に、良多は父と、今度いっしょにサッカーを見に行こうと話す。どちらも、たぶん本気だ。
バス停まで、母と父が見送りに来る。バスに乗ってから、良多は、前の日にどうしても出てこなかった相撲取りの名前を、ふっと思い出す。
いつもこうだ。いつも、ちょっとだけ間に合わない。
グラスは、底のほうだ。果実はもう遠い。舌の上に、出汁の旨みと、砂の畑のようなミネラルが、静かに残っている。開けたての鉄の匂いを、もう思い出せない。
ピノ・ノワールなら、ほかにもある。華やかで、よくできたものが、いくらでも。
それでもこの一本を、この映画の隣に置く。
2022年の角田浜は、8月も9月も雨が続いた。砂地のピノの持ち味は華やかな香りだが、それを支える果実が、この年は細かった。掛川は、収穫の季節をどうしたものかと、ほんとうに悩んだという。発酵の前に、畑の微生物をいつもより強く働かせた。房を茎ごと加えた。そうして、この一本は持ちこたえた。
だから、このワインの華やかさは、晴れた年のそれとは違う。雨の夏をくぐったあとの、控えめな明るさだ。その下に、野生の酵母の匂いと、出汁の旨みがある。
にぎやかで、やさしくて、その奥に言わないことを抱えた家の食卓に、よく似ている。
そして、雨の年は、一度きりだ。次のふらみんごは、別の夏の顔をしている。

角田浜 — 砂と、風と、雨の夏
新潟市の西の端、角田浜。日本海まで、歩いて行ける距離に畑がある。
足もとは砂だ。雨が降っても、水はすぐに下へ抜けていく。昼は海から、夜は陸から、風が畝のあいだを通り抜けて、湿気を運び去る。ブドウにとっては、ありがたい土地だ。
それでも2022年の夏は、風より雨が勝った。濡れた手袋で房を確かめて、また空を見上げる。そういう日が、何週間も続いたはずだ。
掛川は、雨が降れば泣く、と話している。畑の仕事は、最後のところで空に手が届かない。できるのは、その年に届いたものを受けとって、なんとか一本にまとめることだけだ。
十五年前の夏の海も、誰の手も届かなかった。この家の人たちは、その夏を受けとったまま、毎年、同じ食卓を囲んでいる。

この映画の夜に
瓶は、冷蔵庫から出しておくか、はじめから入れないでおく。少しひんやりするくらいでいい。冷やしすぎると、鉄の匂いのまま閉じてしまう。
料理を始める前に、栓を抜く。ひと口だけ注いで、あとは台所の隅に置いておく。包丁を使い、鍋を火にかけているあいだに、ワインのほうも少しずつほどけていく。
食卓には、揚げものと煮ものを。とうもろこしのかき揚げ、豚の角煮、きんぴら、枝豆の混ぜご飯。油と出汁のある皿なら、なんでも合う。グラスは、大きくなくていい。
映画の最初の台所の場面は、まだ固いまま。良雄が帰ったあとあたりで、香りが開く。レコードが回るころには、なめらかになっている。
できれば、ひとりでなく。夏の終わりや、秋の連休に実家へ帰るとき、一本持っていくのもいい。親の台所で、親の作ったものの隣で、開けてみる。
甘いものは、この瓶が空いてから。
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帰りの電車で、ふと思い出す。
母に聞かれて、答えられなかったこと。
次に帰ったら、話そう。
間に合ううちに。
Film
歩いても歩いても / Still Walking 2008 / 日本 / 114分(日本公開 2008-06-28) 監督・脚本・編集: 是枝裕和 撮影: 山崎裕 音楽: ゴンチチ 出演: 阿部寛, 夏川結衣, YOU, 樹木希林, 原田芳雄
配信
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2026年9月時点 · JustWatch
Wine
Cave D'occi / ふらみんご 2022 ピノ・ノワール 100%(自社畑、樹齢20年以上) どうぶつシリーズ / 野生酵母 / 12.5% 新潟市西蒲区角田浜





