秘密の森の、その向こう × Banksia Pinot Noir
同じ家を、もう一度。
幕間に一杯、
Red — 南オーストラリア

秘密の森の、その向こう
× Banksia Pinot Noir

Petite Maman, 2021 — セリーヌ・シアマ
prologue
秋の森の縁。八歳ほどの目線から、枝小屋へ歩く同じ背丈の子ども二人の背中
子どもの目線のまま、二人の背中を追って小屋へ向かった。

目線が低い。大人が同じ画面に入るには、膝を折らなければならない。

車の後部座席から、ネリーが運転席の母に菓子を運ぶ。ひとつ口に入れて、次にジュースのストローを差し出す。手が届くのは、そこまでだ。

行き先は、亡くなった祖母の家。片付けの途中で、母は何も言わずに先に帰ってしまう。

残されたネリーは、裏の森へ入る。枝を立てかけて小屋を建てている、同じ背丈の少女がいる。名前を聞くと、母と同じ名前が返ってくる。

その先は、ここには書かない。

セリーヌ・シアマの『秘密の森の、その向こう』は、73分の短い映画だ。音楽はほとんど鳴らず、聞こえるのは落ち葉を踏む音と、子どもたちの短い声。秋の色はあるのに、燃え上がらない。部屋の明かりをつけても、目線はしばらく低いままでいる。

その高さのまま注げる赤が、アデレード・ヒルズの丘にある。少し冷やして飲む、明るいピノ・ノワールだ。


wine
Banksia Pinot Noir 2022 / バスケット・レンジ・ワインズ
Banksia Pinot Noir 2022 / バスケット・レンジ・ワインズ

一杯の肖像

1978年、フィリップ・ブロデリックは、アデレード・ヒルズのバスケット・レンジに土地を買った。急な斜面に、最初のブドウを植えたのは1980年。

ルイとショルトの兄弟は、その土地で生まれた。

2000年、一家は丘の上の隣の土地へ移る。もとは果樹園だった斜面に、家族でブドウを植え直した。兄が八つ、弟が五つになる年だ。二人は畑を手伝いながら育ち、2016年、弟のショルトが醸造を始める。

Banksia Pinot Noir 2022 は、その自社畑のピノ・ノワールだけで造られている。北向きと南向き、陽の当たり方がちがう二つの区画から、酸が残るうちに摘んだ。一部を房ごと仕込み、古い樽で八ヶ月。

グラスに注ぐと、色は明るい。最初に口を起こすのは酸で、房ごと仕込んだ部分が香りを持ち上げ、その下に旨味を敷く。タンニンは細く、きれいに揃っている。

香りを果物の名前で言い当てるより、明るさと、旨味と、酸の長さで覚えておきたい一本だ。


pairing
室内灯の低い台所。粉の器と空いた椅子が並び、画面端を子どもの肩が切る
粉の器は残っていて、二つの椅子の高さが揃っていた。

なぜ、『秘密の森の、その向こう』に、Banksia Pinot Noir 2022 なのか

子どものころに植わった樹から、大人になった子が一杯を造る。

色と色

祖母の家では、夕方になると窓の外の光が引いて、室内灯の金色が残る。撮影のクレア・マトンは、この秋を押し葉の標本のように扱った。暖かい色は置くが、燃え上がらせない。夜は薄い青で、子どもの顔に濃い影を落とさない。

Banksia の赤も、画面の主役を取りにいかない。燃える葉の色というより、落ち葉の下に残った実の色だ。新しい樽の香りを被せていないぶん、グラスには明るさがそのまま残る。室内灯の下で、ちょうどいい濃さに見える。

感覚と感覚

台所で、二人はパンケーキを焼く。卵を割り、粉を混ぜ、フライパンの上で生地を返す。大人の手は、どこにも出てこない。

音楽がほとんどない映画だ。終わり近く、ネリーがヘッドホンを貸して、「未来の音楽」を聴かせる。そのあと、二人が湖へ漕ぎ出すところで、はじめて歌が画面いっぱいに流れる。静かな時間が長かったぶん、それまでに聞いた葉の音や、粉を混ぜる音が、あとから耳に残っている。

このピノも、声を張らない。先に立つのは酸で、香りは明るく、旨味は下のほうで静かに支える。少し冷やすと、霜が降りる手前の、秋の夕方の温度になる。飲み込んだあと、口のなかがすっと澄んで、次のひと口まで静かに待てる。

物語と物語

シアマは、この映画に過去へ運ぶ機械を置かなかった。森の奥に扉もない。ネリーは小道を歩いて、同じ年の母に会うだけだ。家は二軒あるはずなのに、壁紙は古びていない。時代の差を消して、二人が同じ高さで向き合う時間のほうを残した。

ブロデリック家の畑にも、同じ時間の重なりがある。いまの区画を植えたのは、兄弟がまだ子どもだったころだ。兄は、ネリーと同じ八つになる年だった。その斜面で手伝いながら育った子が、大人になって、同じ樹の実でワインを造っている。

北の斜面と南の斜面が、一本の瓶のなかで揃う。子どもの背丈で歩いた畑を、大人の手でもう一度歩く。同じ家をもう一度歩く映画に、この赤を置きたい理由は、そこにある。


terroir
アデレード・ヒルズの斜面に残る古い果樹。空の収穫箱を運ぶ腕の向こうから茂みが始まる
果樹の名残と茂みの境で、空の箱を作業小屋へ戻した。

バスケット・レンジを旅する

アデレード・ヒルズのなかでも、バスケット・レンジの斜面は急だ。かつてはりんごとさくらんぼの果樹園が並んだ丘で、いまも古い果樹の名残と、手を入れていない茂みが、畑のあいだに残っている。

もしこの丘を歩いたら、足もとで最初に気づくのは土の色だろう。赤い粘土と青い粘土が古い砂岩の上に重なり、ところどころに鉄分を含んだ石が混じる。標高はおよそ450メートル。同じ斜面でも、陽の向きで乾き方と冷え方が変わる。

ブロデリック家の区画は、そのちがいをそのまま抱えている。北向きは陽を受け、南向きは涼しい。ブドウは有機で育て、ワインはすべて敷地のなかで造る。畑も醸造所も、一家の暮らす土地のなかに収まっている。

映画の森とこの丘を、地図の上で結ぶつもりはない。重なるのは景色より、子どものころに歩いた場所へ、大人になって戻ってくるという時間の形のほうだ。


how to drink
食後の木の卓。少し冷えた赤のグラスが空に近く、引かれた椅子の脇を腕が横切る
席を立ったあと、赤いグラスは空に近かった。

この映画の夜に

温度: 冷蔵庫に三十分ほど入れて、ひんやりする手前で出す。冷やしすぎると酸だけが尖る。温度が少しずつ上がって、香りが開いていくのを待つ。

グラス: 小ぶりのものでいい。大きなボウルは、この背丈には広すぎる。

食事: 脂の少ない焼きもの、塩気のやさしいチーズ、残ったパン。台所にあるもので、手早く整える夜が似合う。

タイミング: 73分の映画は、夕食の前にちょうど収まる。部屋の明かりを戻したら、最初のひと口は料理より先に。

話すこと: 親と同じ背丈で会えたら、何を話したか。八つのころに住んでいた家の、台所の位置。答えは出さなくていい。


epilogue

.

家は、まだ同じだ。壁紙も、古びていない。

名前を呼ぶと、同じ高さで返事がある。

赤は、いまの温度のまま。


Film

秘密の森の、その向こう / Petite Maman 2021 / フランス / 73分(日本公開 2022-09-23) 監督・脚本: セリーヌ・シアマ 撮影: クレア・マトン 音楽: ジャン=バティスト・ド・ロビエ 出演: ジョセフィーヌ・サンス, ガブリエル・サンス, ニナ・ミュリス, ステファン・ヴァルペンヌ, マルゴ・アバスカル

配信
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2026年9月時点

Wine

Basket Range Wines / Banksia Pinot Noir 2022 ピノ・ノワール 100%(777 / MV6) 自社畑の北向きと南向き、一部全房、古樽8ヶ月 Basket Range, Adelaide Hills

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Banksia Pinot Noir 2022

バスケット・レンジ・ワインズ

Region
南オーストラリア
Grape
Pinot Noir 100%
Type
red
Vintage
2022

777クローン

残りわずか

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この一杯に近い幕


Film

Petite Maman

2021 / FR / Dir. セリーヌ・シアマ

配信

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2026年9月時点

Wine

バスケット・レンジ・ワインズ / Banksia Pinot Noir 2022

Pinot Noir 100%

南オーストラリア

¥5,500