ドライブ・マイ・カー × Casablanca
閉じたあとに、口が開く。
幕間に一杯、
Red — ネルソン

ドライブ・マイ・カー
× Casablanca

Drive My Car, 2021 — 濱口竜介
prologue
雨上がりの山道で、赤い車の側窓越しに前を向く二人
雨のあと、二人は前を向いたまま車内にいた。

赤いサーブのカセットデッキから、女の声が流れてくる。チェーホフ『ワーニャ伯父さん』の台詞を、抑揚をつけずに読んでいく。ワーニャの番が来ると、声は黙る。テープには、その分だけ空白が録ってある。

ハンドルを握る家福悠介が、その空白に台詞を返す。声の主は、妻の音。台詞を覚えるための、二人だけの習慣だった。

音が亡くなって二年。広島の演劇祭に招かれた家福は、愛車の運転を他人に任せることになる。運転手の渡利みさきは、ほとんど口をきかない。後部座席で、家福は同じテープを流しつづける。みさきの運転は、走っていることを忘れるほど滑らかだ。

濱口竜介の三時間の映画は、その多くを、この車内で過ごす。タイトルが出るのは、始まって四十分ほど経ってからだ。

閉めきった車のなかで、時間をかけて、何かが少しずつほどけていく。その三時間と並んで、ゆっくり開いていく赤がある。


wine
Casablanca 2021 / クノウ・ワインズ
Casablanca 2021 / クノウ・ワインズ

一杯の肖像

中野雄揮は京都の出身で、レストランでソムリエをしてから、畑の側へ回った。いまはニュージーランド南島の北端、ネルソンのアッパー・ムーテレに蔵を構え、ピノ・ノワールを軸に、年ごとに組み合わせと仕込みを変えている。

Casablanca 2021 は、ピノ・ノワールが7割。残りはメルローとマルベックがほぼ半分ずつで、そこにヴィオニエとソーヴィニヨン・ブランがひとしずくずつ入る。ピノは皮と一緒に三十一日。ほかの葡萄は、まとめて一緒に醸す。それを素焼きの甕、アンフォラに移して、九か月。濾過も清澄もせず、何も足さない。

栓を抜いてすぐは、香りがまだ控えめだ。黒い果実の気配が、グラスの奥にとどまっている。十分、二十分と置くうちに、熟したダークチェリーとブラックベリー、カシスが上がってきて、その端にタイムのような青い香りがのぞく。暗い果実の縁に、明るさが残っている。

口に含むと、骨格はしっかりしているのに、舌ざわりは滑らかだ。マルベックが土っぽい暗さを足し、メルローがわずかな甘みを添える。後半に乾いたミネラルと、だしのような旨味が来て、長く引いていく。


pairing
稽古後の共同室で、傷のある卓に残された再生中のカセットレコーダーと台本
稽古が終わっても、カセットは卓上で回っていた。

なぜ、『ドライブ・マイ・カー』に、Casablanca 2021 なのか

空白に、声を返す。

抑揚のない声

家福の稽古では、俳優たちはまず台本を棒読みする。感情をのせず、同じ台詞を何度も繰り返す。意味は、繰り返すうちに体のほうへ落ちていく。車のテープの音の声も、同じ読み方をしている。

アンフォラは、ワインに自分の香りを足さない器だ。新しい樽のようなバニラや焼いた木の香りが、先に立たない。だから注ぎたてのこの赤は、少し無口に聞こえる。聞こえてくるのは、葡萄そのものの声だけだ。それが、時間をかけて体に落ちてくる。

サンルーフ

後半のある夜、家福とみさきは、走る車のなかで煙草を吸う。屋根のサンルーフを開け、煙草を持った手だけを、二人とも外へ出す。顔は合わせない。夜の道を走りながら、二つの小さな火が、屋根の上で揺れている。

閉めきってきた車の屋根が、ひらいている。

Casablanca も、皮の下で一か月、甕のなかで九か月、閉じた時間を過ごしてきた。栓を抜き、グラスのなかで空気に触れて、ようやくダークチェリーとカシスが上がってくる。閉じたあとに、口が開く。この映画でいちばん静かな開放の場面と、この一本がいちばんおいしくなる瞬間は、同じ形をしている。

揺れない運転

家福がみさきを認めるのは、話が合うからではない。停まるときも曲がるときも、車が揺れないからだ。その滑らかさの裏には、彼女が運転を覚えた、苦い理由がある。

この赤の骨格も、しっかりしている。マルベックの暗さも、皮と過ごした一か月の厚みもある。それでも舌の上では、角が立たずに滑っていく。三時間のあいだ、隣の席に置いておける。


terroir
雨上がりの農道脇で、手袋をした作業者が排水溝から濡れた粘土と落ち葉を取り除いている
雨のあと、詰まった葉と粘土を排水溝から取り除いていた。

ネルソンを旅する

アッパー・ムーテレの丘は、はるか昔の氷河が運んできた砂礫を、茶色い粘土が固めてできている。雨が降ると、粘土は水を抱えて重くなる。雨のあと、農道脇の溝には、流れきらなかった泥と落ち葉が溜まる。それを手で掻き出して、水の通り道をあけておく。

水を抱えた重い土では、葡萄はゆっくり熟す。急がずに熟すぶん、果実は詰まり、骨格が残る。ムーテレのピノが、しっかりした骨組みを持つのはそのためだ。Casablanca の暗い果実も、この遅さから来ている。

広島で、みさきは家福を、海沿いのごみ処理場へ案内する。平和記念公園から続く軸線が、建物の中央を抜けて、瀬戸内の海まで通っている。

観光地ではない場所に、その土地の芯がある。泥を掻き出した溝の先にも、同じものがある。


how to drink
食後の家庭の卓で、パンとチーズ、赤ワインのグラスを残して皿を下げる手
皿を下げるあいだ、椅子は引かれたままだった。

この映画の夜に

温度: 15〜16℃。冷蔵庫に入れていたなら、再生の三十分前に出しておく。冷やしすぎると、果実が上がってくるまでに時間がかかりすぎる。

グラス: ふくらみのある、ピノ用のグラス。上がってくる香りを溜めておける形がいい。

時間: 179分。再生ボタンを押す前に栓を抜き、最初に注いでおく。最初のうちは、控えめなままでいい。タイトルが出るころ、注ぎ足す。ここで果実が前に出てくる。高槻が車内で長く語る夜に、もう一度。最後のひと口は、北海道の雪の場面のために残しておく。

食事: 炙った鴨や、塩で焼いた鶏。焼いたきのこに醤油をひとたらし。旨味と香ばしさが、後半の乾いたミネラルとつながる。長い映画なので、つまめるものを小皿に分けておくといい。

在庫: 2021年。入ってきたのは、四本だけだ。


epilogue

.

マスクをした人の多い、どこかの町のスーパーで、みさきが買い物をしている。袋を抱えて出てくると、赤い車の座席で、大きな犬が待っている。

彼女は車を出す。

グラスの底には、開ききった赤が、まだ少しだけ残っている。


Film

ドライブ・マイ・カー / Drive My Car 2021 / 日本 / 179分(日本公開 2021-08-20) 監督: 濱口竜介 脚本: 濱口竜介, 大江崇允(原作: 村上春樹) 撮影: 四宮秀俊 音楽: 石橋英子 出演: 西島秀俊, 三浦透子, 霧島れいか, 岡田将生 ほか 受賞: 第94回アカデミー賞 国際長編映画賞 / 第74回カンヌ国際映画祭 脚本賞

配信
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2026年9月時点 · JustWatch

Wine

Kunoh Wines / Casablanca 2021 ピノ・ノワール 70% / メルロー 14% / マルベック 14% / ヴィオニエ 1% / ソーヴィニヨン・ブラン 1% ピノは果皮とともに31日、ほかは混醸 / アンフォラで9か月熟成 無濾過・無清澄・無添加 Upper Moutere, Nelson, New Zealand

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Casablanca 2021

クノウ・ワインズ

Region
ネルソン
Grape
Pinot Noir 70% / Merlot 14% / Malbec 14% / Viognier 1% / Sauvignon Blanc 1%
Type
red
Vintage
2021

PN70%、メルロー14%、マルベック14%、ヴィオニエ1%、SB1%

販売中

表示価格は税込

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この一杯に近い幕


Film

Drive My Car

2021 / JP / Dir. 濱口竜介

配信

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Wine

クノウ・ワインズ / Casablanca 2021

Pinot Noir 70% / Merlot 14% / Malbec 14% / Viognier 1% / Sauvignon Blanc 1%

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