
草の斜面を、騎馬が猪を追っていく。黄、赤、青。三人の息子の装束が、父の馬のあとに続く。
狩りのあと、裾野に陣幕が張られ、客人を迎えた宴になる。七十になる一文字秀虎(仲代達矢)は、その席でうとうとと眠ってしまう。末の息子の三郎が黙って枝を切り、父の顔に日陰をつくる。
目を覚ました秀虎は、震えている。広い荒野に、たった一人でいる夢を見たという。そして、その場で、家督を長男に譲り、三つの城を三人の息子に分けると言い出す。
黒澤明の『乱』は、その夢が本当になっていく162分だ。開幕の金色の画面は、少しずつ灰と土の色に変わっていく。それでも最後まで、画面から赤は消えない。
この長い夜の隣に、一本置きたい赤がある。百年近い樹から、ほんの少しだけ採れた葡萄の赤だ。

一杯の肖像
南フランス、スペインとの国境に近いルーション。フレデリック・リヴァトンの畑には、樹齢六十年から百年の古い樹が残っている。
年を重ねた樹は、実を少ししかつけない。この畑の収量は、1ヘクタールあたり10から15ヘクトリットル。並の畑の三分の一ほどだ。その少ない実が、そのぶん濃くなる。
カリニャンを7割、シラーを2割、グルナッシュを1割。いくつもの区画の古木を合わせ、房から実を外して、コンクリートのタンクで発酵させる。そのあと木樽で二年近く寝かせてから瓶に詰めた。Vieilles Vignes は「古い樹」という意味だ。
2017年の収穫から、九年目になる。
グラスに注ぐと、濃いガーネット色。まず、よく熟した黒い果実が飛び込んでくる。プラム、カシス、プルーン。しばらく置くと、そこにスミレのような花の香りと、スパイスやハーブがそっと加わり、香りが品よくまとまっていく。
口に含むと、落ち着いた黒い果実が、じわりと染み込むように広がる。タンニンはすっかり丸くなって、舌にひっかからない。濃いのに、喉をするすると通っていく。気づくと、また手が伸びている。

なぜ、『乱』に、Vieilles Vignes 2017 なのか
色が落ちても、赤は残る。
三つの色
太郎は黄、次郎は赤、三郎は青。開幕の狩りでは、三つの色が父のまわりに並んでいる。家が分けられると、その色はそれぞれの軍勢の旗になる。やがて、同じ家から出た旗どうしが、互いに向かって走り出す。
このワインも、注いだばかりのときは色が鮮やかだ。プラムとカシスが、まっすぐ前に出てくる。けれど、グラスのなかで時間がたつと、果実は少しずつ後ろへ下がり、スミレとスパイスが顔を出す。派手な色が引いたあとに、品のいい輪郭が見えてくる。
映画の色が変わっていく速さで、グラスの香りも変わっていく。
音の消えた城
第三の城が攻め落とされる場面で、黒澤は、鬨の声も、刀の音も、蹄の音も消してしまう。聞こえるのは、武満徹の音楽だけ。矢が刺さり、血が流れ、城が燃える。それを観客は、音のない画面として見つめる。
あの場面を観ているあいだ、口のなかで何も邪魔をしてほしくない。
このワインのタンニンは、樽と瓶のなかの長い時間で、すっかり丸くなっている。濃い果実が、ひっかかりなく喉を落ちていく。音の消えた数分間、グラスを持つ手は止まらない。
焼け跡を歩く
炎の天守から、秀虎がひとりで出てくる。白くなった髪、焦点の合わない目。息子たちの兵は、黙って道をあける。老いた父は、誰にも支えられず、城を降りていく。
五十年かけて築いた家は、一日で焼けた。それでも、秀虎という人は、そこを歩いている。
この畑の古木も、リヴァトンが植えたものではない。六十年、百年前に、この村の誰かが植えた樹だ。彼はそれを引き継ぎ、分けずに、一本のワインにまとめた。二年を樽で、さらに瓶のなかで年を重ねて、果実の勢いは落ち着いた。それでも、赤の骨格は残っている。

石の斜面を旅する
ラトゥール・ド・フランスは、ルーションの内陸、山の裾にある小さな村だ。斜面は片岩と片麻岩で、表土は薄い。足を踏み出すと、乾いた石が靴の下で鳴る。
背の低い古木が、石のあいだに間隔をあけて並んでいる。雨の少ない土地で、古い根は、水を求めて岩の割れ目の深くまで伸びている。だから日照りの年でも、樹は枯れずに、少しだけ実をつける。
2017年は、南フランス全体が霜と日照りで、収穫の少ない年だった。この畑の実は、もともと少ないうえに、さらに少なかった。
黒澤は、架空の戦国の城を、富士の裾野に建てて撮った。草の斜面と、石の斜面。遠く離れた二つの土地で、長い年月を生きたものが、同じ乾いた風景のなかに立っている。

この映画の夜に
温度: 16〜18℃。冷やしすぎると、スミレとスパイスの香りが閉じてしまう。上映の三十分前に、冷暗所から出しておく。
グラス: 大きめのボウル。香りが変わっていくのを、一杯のなかで追えるように。
時間: 162分。抜栓してすぐに飲める。開幕の狩りから注ぐ。黒い果実が、金色の画面によく似合う。家が割れはじめる頃に、注ぎ足す。香りはもう、花とスパイスの側へ移っている。第三の城の場面では、グラスを手放さないでおく。
食事: 鴨のロースト、あるいは羊の炭火焼き。塩と黒胡椒だけで。脂の甘さを、黒い果実と丸いタンニンが受けとめる。映画が長いので、皿は少しずつ出せるものがいい。
翌日: 抜栓した翌日まで、十分に美味しい。一晩で飲みきれなければ、栓をして、次の夜にもう一度。
ヴィンテージ: 2017年。樽と瓶で時間を過ごし、いまが飲み頃だ。
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秀虎は、焼けた城を降りていく。
背後で、五十年の家が燃えている。
グラスの底には、九年前の秋に摘まれた赤が、まだ少しだけ残っている。
Film
乱 / Ran 1985 / 日本・フランス / 162分(日本公開 1985-06-01) 監督: 黒澤明 脚本: 黒澤明, 小國英雄, 井手雅人 撮影: 斎藤孝雄, 上田正治 音楽: 武満徹 衣裳: ワダ・エミ 出演: 仲代達矢, 寺尾聰, 根津甚八, 隆大介, 原田美枝子, ピーター ほか
配信
見放題 Hulu / U-NEXT / KADOKAWA channel Amazon Channel
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2026年9月時点 · JustWatch
Wine
Domaine Rivaton / Vieilles Vignes 2017 Carignan 70% / Syrah 20% / Grenache 10% 樹齢60〜100年 / 収量10〜15hl/ha 除梗・コンクリートタンク発酵 / 木樽で約2年熟成 Latour-de-France, Roussillon, France





