怪物 × イ・カンジャンティ コンフィーネ
見る位置で、色が変わる。
幕間に一杯、
White — ウンブリア

怪物
× イ・カンジャンティ コンフィーネ

Monster, 2023 — 是枝裕和
prologue
雨粒の残る窓越しに見た湖と、傘を差して通り過ぎる人
雨粒の残る窓の向こうを、一人が通り過ぎた。

栓は、再生ボタンの前に抜いておく。

冷えた瓶から注ぐと、白ワインにしては少し濁っている。窓際では淡い黄色に見え、卓の灯りに寄せると金に近づく。ひと口目は冷たい。柑橘がまっすぐ走り、舌の奥に細い渋みが引っかかる。最後に、塩が残る。

画面では、夜の雑居ビルが燃えている。母の早織と、小学五年の湊が、ベランダからそれを眺めている。

ある日、湊が片方の靴で帰ってくる。水筒の中に泥が入っている。耳にけががある。担任の先生に何かされたらしい。早織は学校へ行く。頭を下げる大人たちは、誰も彼女の目を見ない。

グラスは、まだ何も打ち明けない。夜の湖のように、中が見えない。


wine
Confine 2022 / イ・カンジャンティ
Confine 2022 / イ・カンジャンティ

一杯の肖像

グラスを窓の光にかざす。淡い黄色が、傾けると金に寄っていく。少し濁っているのは、何も取り除いていないからだ。

Confine は、イタリア語で「境界」。トスカーナとウンブリアの境で、マッテオとルカ、ストッピーニ兄弟が造る白だ。2022 は、トレッビアーノ・トスカーノとグレケット。手で摘んだブドウを品種ごとに除梗して潰し、三日だけ皮と一緒に置く。バスケットプレスで搾り、野生の酵母だけで発酵させる。マロラクティックのあとで、二つを重ねる。清澄も、濾過もしない。

三日の皮は、白を橙に変えるほど長くない。けれど、ただの白のままでいさせるほど短くもない。だから、この色になる。

冷たいうちは、柑橘と細い渋みと、塩。温度が上がると、黄桃やアプリコット、オレンジの皮、白い花がひらいてくる。栓を抜いて時間がたつと、生姜やハーブ、蜜のような丸みまで出てくる。同じ一本が、ひと晩のうちに何度も顔を変える。


pairing
雨上がりの住宅街の角を、自転車が横切るところ
雨上がり、店と住居の灯りが同じ路面に重なっていた。

なぜ、怪物に、コンフィーネ 2022 なのか

同じ日々を、三度たどる。グラスも、三度変わる。

母の章 ── 冷たいうちに

早織の目で見ると、担任の保利は怪物だ。謝罪の言葉は紙を読むように平らで、校長はうつむいたまま動かない。何かがおかしいのに、誰もそれを口にしない。

グラスは、まだ冷たい。柑橘の酸がまっすぐで、奥歯に細い渋みが残る。果実は奥に隠れている。おいしいのに、どこか引っかかる。その引っかかりが、この章にはちょうどいい。

教師の章 ── 手のひらで温まる

同じ日々が、もう一度始まる。今度は保利の目で。あの謝罪の場面も、別の角度から戻ってくる。怪物に見えた男は、不器用で、少し間が悪いだけの人なのかもしれない。

グラスを手のひらで包んでいると、同じ液体が別の顔を見せはじめる。黄桃とアプリコットが前に出て、オレンジの皮が香る。さっきは硬いと感じた渋みが、果実を支える骨組みに変わっている。飲んでいるものは何も変わっていない。変わったのは、こちらの位置だ。

是枝裕和は、それぞれが自分の真実を信じて生きていて、そのはざまに得体の知れないものが浮かぶ、と語っている。見ている怪物は、人によって違う。

子どもの章 ── 時間がたって

三度目は、湊の目だ。同じクラスの依里と、線路の先の森へ入っていく。使われなくなった電車の車両が、二人だけの場所になっている。大人たちが見ていたもののずっと外側で、二人は笑っている。

言えないことがあると、湊は音楽室で校長と並んで、楽器に息を吹き込む。依里は父親から、治さなければならない子だと言われている。大人たちはそれぞれのやり方で、二人をどこかへ「直そう」とする。

栓を抜いてしばらくたったグラスは、いちばん寛いでいる。生姜とハーブ、蜜のような丸み。空気に触れた分だけ、香りに少し熟れた影も混じる。それでも、細い渋みと余韻の塩は、最初のひと口のまま残っている。

このワインは、白ブドウを別の何かに作り変えようとしない。三日だけ皮と置いて、濁りも取らずに瓶に詰める。整えなかったから、この色になった。

毎朝、境を越える二人

少し濁った白なら、ほかにもある。

それでもこの一本にしたのは、造る二人が、毎日境を越えているからだ。蔵はウンブリアの、かつての木工所。畑はトスカーナ側、モンテプルチャーノの手前にある。兄弟はほとんど毎日、州の境を越えて畑へ行き、また戻ってくる。2019 年、祖父母から受け継いだやり方で始めた、小さな蔵だ。

この色は境で迎える夜明けを思わせる、と輸入元は伝えている。ラベルを描いたのは、母のシルヴィア。I Cangianti という名は、光によって色合いが変わって見えるもの、を意味する。2022 年の Confine は、3,200 本だけ造られた。

映画のなかで、二人の少年は、大人の引いた線の外へ走っていく。グラスのなかにあるのは、毎朝その線を越えていく兄弟のワインだ。


terroir
ブドウ畑の農道に停めた小型トラックと、荷台に置かれた作業手袋
朝の畝で、手袋は荷台に残っていた。

境の畑を旅する

朝、兄弟はウンブリアの蔵を出て、トスカーナの畑へ向かう。境を越えても、丘の連なりは途切れない。同じ土地が、別の州の名で呼ばれるだけだ。

畑はモンテプルチャーノの手前。摘んだブドウは、境を戻って蔵で醸される。収穫と醸造が、毎年、二つの州にまたがっている。醸すのは野生の酵母だけで、仕上げに濁りを取ることもしない。

蔵のエチケットは、光で色が動いて見えるように描かれている。棚の前で立つ位置を変えると、同じラベルが少し違って見える。中身も、それに似ている。


how to drink
食後の家庭の食卓で、画面の端から皿を片づける手
食後、皿を片づける手だけが画面に残った。

この映画の夜に

温度: 冷蔵庫から出して、二十分ほど置く。瓶に触れた指がひんやりするくらいから注ぎはじめる。いちばん釣り合うのは 13〜14℃ あたりだが、少し冷たいところから始めると、章ごとの変化を追いやすい。

注ぎかた: 濾過していないので、瓶は少し前から立てておき、そっと注ぐ。窓際と卓の灯りの下で、一度ずつ色を見てほしい。

食事: 白身魚を塩で焼いて、柑橘を搾る。野菜の天ぷらを、塩で。出汁の効いた小鉢。ブラータや若いチーズに、ハーブとオリーブオイルを添えてもいい。塩気のある皿が、ワインの余韻の塩とつながる。

映画との時間: 母の章は、冷たいうちに。教師の章で、グラスを手のひらで包む。子どもの章に入るころには、栓を抜いてからの時間が、ワインを開いている。126 分なら、ふたりで一本がちょうどいい。

最後に: 最後の場面のために、ひと口分を残しておく。


epilogue

.

「もとのままだよ」

残しておいたひと口は、栓を抜いたときと同じ塩を、まだ持っている。


Film

怪物 / Monster 2023 / 日本 / 126分(日本公開 2023-06-02) 監督・編集: 是枝裕和 脚本: 坂元裕二 撮影: 近藤龍人 音楽: 坂本龍一 出演: 安藤サクラ, 永山瑛太, 黒川想矢, 柊木陽太, 田中裕子

配信
見放題 Netflix / Prime Video / Hulu / U-NEXT ほか
レンタル Apple TV Store / Google Play Movies / FOD
2026年9月時点 · JustWatch

Wine

I Cangianti / コンフィーネ 2022 トレッビアーノ・トスカーノ 60%、グレケット 40% 手摘み。品種ごとに除梗・破砕し、3日間のスキンコンタクト バスケットプレス、野生酵母のみで発酵、マロラクティックのちブレンド 無清澄・ノンフィルター/生産 3,200 本 蔵はウンブリア、畑はトスカーナ 提供温度の目安: 13〜14℃

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Confine 2022

イ・カンジャンティ

Region
ウンブリア
Grape
Trebbiano Toscano / Grechetto
Type
white
Vintage
2022
Serve
13–14℃

三日だけ皮と醸した、無清澄・無濾過の白。わずかに濁った淡い黄色から金色。冷たいうちは柑橘と細い渋み、塩。温まると黄桃やアプリコット、オレンジの皮が前に出て、渋みが骨格に変わる。抜栓後は時間とともに生姜やハーブ、蜜のような丸みと穏やかな酸化のニュアンスが開く。塩気のある引き締まった余韻は最後まで続く。

残りわずか

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この一杯に近い幕


Film

Monster

2023 / JP / Dir. 是枝裕和

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