蟋蟀在戸の便り

色が深く、夜が早くなる。余韻は長く残り、ワインは少しずつ温めたくなる。

Newsletter

Reading room

With thanks to

—
作品を上映し続ける劇場へ
—
ぶどう畑と造り手たちへ
—
幕間に一杯を選んでくれる読者へ

Notices

お酒は20歳になってから。飲酒運転は法律で禁止されています。

© 2026 cinema.wine

ツリー・オブ・ライフ × ウィリアム・ダウニー カテドラル ピノ・ノワール
木漏れ日を、そのまま注ぐ。
幕間に一杯、
Red — ヴィクトリア

ツリー・オブ・ライフ
× ウィリアム・ダウニー カテドラル ピノ・ノワール

The Tree of Life, 2011 — テレンス・マリック
prologue
薄いカーテン越しの朝の光へ伸ばされた子どもの手
光は、触れるより先に記憶になる

夕方、窓のそばで栓を抜く。

注いだ赤は、思ったより淡い。グラスを窓にかざすと、向かいの建物の灯りが、赤く透けて見える。

一口。少しひんやりしている。苺と、ザクロの酸っぱさ。その奥を、ミントがかすかに通り過ぎる。

グラスを置いて、映画を始める。

1,960年代のテキサス。一通の電報が、家に届く。読んだ母が、声にならない声をあげる。十九歳の次男、R.L.が死んだという報せだ。

それから何十年もたった、ヒューストン。ガラス張りの高層ビルで、長男のジャックは建築家として働いている。今日は、弟の命日だ。

朝、ジャックは年老いた父に電話をかけて、短く謝った。

エレベーターが、ガラスの中を昇っていく。窓の外に、木は一本も見えない。

グラスを、もう一度光にかざす。赤の向こうで、何かの影が揺れている。

テキサスの、庭の大きな木の影だ。


wine
Cathedral Pinot Noir 2023 / ウィリアム・ダウニー
Cathedral Pinot Noir 2023 / ウィリアム・ダウニー

一杯の肖像

グラスを、指の前にかざしてみる。赤の向こうに、自分の指が透けて見える。

香りは、赤い果実から来る。苺、さくらんぼ、ザクロ。その下に、ミントと、スパイスがかすかにある。挽いた粉ではなく、丁子やシナモンの枝をそのまま置いたような、形のある香りだ。

口に含むと、果実がはじける。明るくて、みずみずしい。軽いのに、薄くない。飲みこんだあとに、さくらんぼの種をかんだときのような、小さな苦みが残る。

造ったのは、ウィリアム・ダウニー。ブルゴーニュで修業し、オーストラリアに戻ってきた造り手だ。彼は、こう言っている。最高のワインではなく、いちばん本当のワインを造りたい、と。

Cathedral は、ヴィクトリアの冷涼な畑、アッパー・ゴールバーンなどの葡萄から造る。ステンレスタンクと古い樽で仕込み、新しい樽の香りはつけない。何年も寝かせて、ありがたく取っておくためのワインではない。今、この果実を飲むための一本だ。


pairing
雨上がりの庭を大樹の下で走り抜ける子どもたち
過ぎ去った午後が、濡れた葉の光に残る

なぜ、ツリー・オブ・ライフにカテドラル ピノ・ノワールなのか

偉大であるより、本当であること。

芝生の上で — 冷たいうちに

母の声が、囁く。人の生き方には、二つの道がある。ひとつは自然の道。自分を満たすことだけを求め、人を従わせようとする。もうひとつは恵みの道。人に譲り、侮られても、それを受け入れる。

少年ジャックの目に、母は恵みそのものに見える。芝生の上で、母は子どもたちを追いかけて笑う。スプリンクラーの水が、光のなかで散る。一匹の蝶が、母の差し出した手にとまる。

夏の夕方、消毒の車が白い霧をまいて通り過ぎる。子どもたちは、その霧のなかへ走りこんでいく。

父が出張で家を空けると、家じゅうの空気がゆるむ。母は子どもたちと、裸足で庭を駆けまわる。愛さなければ、人生はあっというまに過ぎてしまう。母は、そう言う。

グラスはまだ冷たい。苺とザクロが、まっすぐに来る。ミントが、刈ったばかりの芝の匂いのように、鼻の奥を抜けていく。

父の手 — 温まってくる

父は、厳しい。食卓では、許しがなければ口をきいてはいけない。息子たちに拳の握り方を教え、殴ってこい、と自分の頬を差し出す。

けれど父には、別の顔がある。若いころ、偉大な音楽家になりたかったのだ。日曜の教会で、父はバッハをオルガンで弾く。家ではピアノを弾き、次男のR.L.がギターで合わせる。ジャックは、それを窓の外から見ている。

ジャックの中で、何かが濁っていく。父が車の下にもぐって作業をしている。車体を支えているのは、ジャッキひとつだ。ジャックはそのまわりを、ゆっくりと歩く。神さま、と心のなかで言う。

別の日、ジャックはエアガンで、R.L.の指先を撃つ。泣きながら木の板を差し出して、これで僕を叩け、と言う。R.L.は板を受け取らない。ただ、兄を許す。

父さん、母さん。二人は、いつも僕の中で取っ組み合っている。ジャックは、そう打ち明ける。

グラスが、手のひらの温度に近づいてきた。さくらんぼの果実がふくらみ、下に隠れていた丁子とシナモンが、はっきりと立ちのぼる。明るいだけのワインではなかった。はじめから、ちゃんと骨があった。

本当のもの — 底のほう

父の勤める工場が閉鎖になる。発明の特許も、裁判で失った。一家は、この家を出ていくことになる。

荷物をまとめた家で、父はジャックに語りかける。偉大な人間だから愛されたかった。大物になりたかった。でも、自分は何者でもなかった。見てごらん、まわりの木も、鳥も、こんなに輝いている。自分はそれを恥じるように生きて、その輝きに気づきもしなかった、と。

父は、お前は母さんに似ている、と言う。ジャックは首をふる。僕は、父さんに似ている。

車が走りだす。後ろの窓のなかで、庭の大きな木が、だんだん小さくなっていく。

大人のジャックは、どこまでも続く浜辺を歩いている。そこに、みんながいる。若い父と母。子どものころの自分。そして、R.L.。母は、光のなかで両手をひらく。あなたに、この子を渡します、と。

グラスの底のワインは、いちばん温かい。苺の華やかさは引いて、さくらんぼの種のような、小さな苦みが舌に残る。ミントだけが、まだ静かに通っている。ひと口、ここまでとっておくといい。

淡いピノ・ノワールなら、ほかにもある。この一本をこの映画の隣に置くのは、造り手が、偉大であることより、本当であることを選んだからだ。父が一生をかけて追いかけ、最後に手放したものを、このワインは最初から求めていない。


terroir
雨上がりのヴィクトリアの葡萄畑を、濡れた葉越しに見る
葉を透かした光が、冷涼な畑へ落ちる

ヴィクトリアを旅する

ウィリアム・ダウニーは、ブルゴーニュの蔵で修業を積んだ。そこで身につけたものを持って、オーストラリアに帰ってきた。いまは、ヴィクトリア州南東のジップスランドで、妻のレイチェルとともに畑と暮らしている。

Cathedral の葡萄は、メルボルンから北東へ向かった、アッパー・ゴールバーンなどの冷涼な畑から来る。名前は、葡萄を買っていた畑のそばにそびえる、カテドラル山脈から取られた。

大聖堂という名前は、偶然の地名だ。けれど、父が日曜ごとにオルガンを弾いたのも、教会だった。父は、その音楽で偉大になろうとした。ダウニーは、偉大なワインを目指さない。いちばん本当のワインを目指す。

大聖堂という同じ言葉の下で、二人は反対のほうを見ている。そして映画の終わり近くで、父はようやく、ダウニーと同じほうを向く。木と、鳥と、光のほうを。

グラスを、もう一度光にかざす。向こうが透けて見える。飾らない赤だ。


how to drink
窓辺に用意された鶏ときのことパンの素朴な食卓
光を遮らない、静かで滋味のある皿

この映画の夜に

映画を始める三十分ほど前に、冷蔵庫から瓶を出しておく。14℃くらいの、ほんの少しひんやりしたところから飲みはじめると、温まっていく変化がよくわかる。

グラスは、大きめのボウルのものを。注いだら、まず窓の光にかざして、向こうが透けるのを見てから飲む。

オーブンでは、タイムをのせた鶏を焼いておく。きのこのソテーと、良いパン。さくらんぼの赤い果実とスパイスに、焼いた皮の香ばしさがよく合う。

映画は、138分。宇宙のはじまりも、恐竜も、ゆっくりと過ぎていく。急がなくていい。グラスが温まるのと同じ速さで、少年のジャックも大きくなっていく。

浜辺の場面のために、ひと口だけ残しておく。

これは、何年も寝かせておくワインではない。今夜のうちに、開けてしまっていい。


epilogue

.

グラスを窓辺に置いたまま、少しだけ考える。

明日、父に電話をかけてみようか、と。

空のグラスに、外の光が透けている。


Film

ツリー・オブ・ライフ / The Tree of Life 2011 / United States / 138分 監督・脚本: テレンス・マリック 撮影: エマニュエル・ルベツキ 音楽: アレクサンドル・デスプラ ほか 出演: ブラッド・ピット, ジェシカ・チャステイン, ショーン・ペン, ハンター・マクラケン 受賞: 第64回カンヌ国際映画祭 パルム・ドール

配信
見放題 U-NEXT / HBO Max on U-Next
2026年9月時点 · JustWatch

Wine

William Downie / Cathedral Pinot Noir 2023 Pinot Noir 100% / 約13.5% ステンレスタンクと古樽 / 新樽不使用 Upper Goulburn ほか, Victoria, Australia

この一本を、手に取る

Cathedral Pinot Noir 2023

Cathedral Pinot Noir 2023

ウィリアム・ダウニー

Region
ヴィクトリア
Grape
Pinot Noir 100%
Type
red
Vintage
2023
Serve
14–16℃

苺、さくらんぼ、ザクロの明るくジューシーな赤い果実に、かすかなミントと、丁子やシナモンのホールスパイス。余韻にさくらんぼの種のような小さな苦み。長く寝かせるより、今の果実を楽しむ軽やかなピノ・ノワール。

残りわずか

表示価格は税込

20歳未満の方への酒類販売はできません。購入手続き時に年齢確認を行います。原則クール便でお届け。

送料・配送・返品について →特定商取引法に基づく表記 →

この一杯に近い幕


このワインが気になった方へ。
新しい記事、少量入荷、暦に沿った次の幕間をメールでお届けします。

Film

The Tree of Life

2011 / US / Dir. テレンス・マリック

配信

見放題
U-NEXT / HBO Max on U-Next

2026年9月時点 · JustWatch

Wine

ウィリアム・ダウニー / Cathedral Pinot Noir 2023

Pinot Noir 100%

ヴィクトリア

¥4,950