
部屋の灯りを、ひとつ落とす。
栓を抜いて、グラスに注ぐ。少し濁った琥珀色が、残った灯りを吸って、ランプのような色になる。
口に含む。冷たい梨の味がして、その奥に、ひと筋だけ塩の気配がある。海の近くで育ったぶどうの、細い塩気。
再生する。
夜明け前の谷。ランプを提げた人たちが、タバコの畑へ降りていく。谷の名は、インヴィオラータ。この村の外へ出た者は、ひとりもいない。
「ラザロ」と、誰かが呼ぶ。別の誰かも呼ぶ。荷を運べ、葉を束ねろ、今夜の見張りを代われ。
青年は、そのすべてに応える。祭りの夜も、ひとりで鶏小屋の番をする。朝になると、何ひとつ損をしていない人の顔で目を覚ます。
一番働いて、一番頼まれて、何も持っていない。それでも、その顔は、どこか幸福そうに見える。
村の人たちは、まだ知らない。自分たちの時間が、誰かの手で止められていることを。

一杯の肖像
グラスを、灯りのほうへ傾ける。
ブロンズから、琥珀。濾していないから、輪郭が少しだけ滲む。フィルムで撮った古い写真のように、光が粒になって、液体の中に浮いている。
冷たいうちは、静かだ。梨と、ほんの少しの草。舌の上を、さらさらした渋みが通りすぎていく。そのあとに、塩気がひと筋、細く残る。
ぶどうは、マルヴァジア。プーリア州アデルフィアの、ニカッシオ家の畑で育った。この家は十九世紀の終わりからぶどうを育てている。いまはビオディナミで畑を耕し、白ぶどうを皮ごと醸す、この土地の古いやり方を守っている。
使うのは、六十年以上生きてきた古い樹だけだ。実はほとんどつけない。だからこの一本は、一年に八百本しか生まれない。小さな村の人たちが、ひとり一本ずつ手に取れば、それで終わってしまう数だ。
皮ごと八、九日。古い樽で一年半。濾さず、澄まさず、瓶に詰める直前に、ごく少しの亜硫酸だけ。
名前は、Fatalita。イタリア語で、運命。思いがけない出来事から生まれた良い考えが、このワインになったのだという。何が起きたのかまでは、造り手は語っていない。

なぜ、幸福なラザロにこのワインなのか
まわりのすべてが変わっても、ひとつだけ、変わらないものがある。
丘の上の小屋 — 開けたてのうちに
村を治めているのは、タバコ畑の持ち主の侯爵夫人だ。帳簿はいつも借金で締められ、村人はそれを疑わない。
夫人の息子のタンクレディは、退屈している。母親を困らせるために、自分の誘拐騒ぎをでっちあげる。隠れ家は、村を見下ろす丘の上の小屋。食べ物を運ぶのは、ラザロの役目だ。
タンクレディは、壊れたパチンコをラザロにくれる。おれたちは、もしかしたら腹違いの兄弟かもしれない、と言う。ラザロは、それを本気にする。
夜になると、丘の上で、二人は狼の真似をして吠える。谷の向こうから、本物の遠吠えが返ってくる。
グラスは、まだ冷たい。梨と、塩気。香りは少なく、静かだ。けれど、その塩気だけは、はじめから、はっきりそこにある。
崖の下 — 空気に触れて
ラザロは、熱を出す。それでも、丘の小屋へ行こうとする。
夜の上空を、ヘリコプターが飛んでいく。誘拐の電話が、村の外の警察を連れてきたのだ。音に気をとられた足が滑って、ラザロは崖から落ちる。
谷の底で、彼は動かない。
どれだけの時間が経ったのか。一匹の狼がやってきて、彼の匂いを嗅ぐ。ラザロは、目を開ける。
丘を登って、村へ戻る。家には誰もいない。畑は荒れ、屋敷の窓は割れている。村の人たちは、とうに外の世界へ連れ出されていた。長い年月が経っていた。
ラザロだけが、あの夜と同じ顔で、そこに立っている。
グラスも、空気に触れて、温まってきた。梨の奥から、杏がのぼってくる。枇杷の、やわらかい甘さ。色が、少し深くなったように見える。香りは、さっきとはもう別のものだ。
それでも、舌の奥に、同じ塩気がひと筋ある。
線路のそばの水槽 — 底のほう
街のはずれ、線路のそばの古い水槽に、村の人たちは住んでいる。盗みと小さな詐欺で食いつないでいる。
その中に、アントニアがいる。村では、若い娘だった。いまは、疲れた目をした中年の女になっている。
彼女は、ラザロに気づく。一日も歳をとっていない顔を見て、ゆっくりと膝をつき、祈りはじめる。
ラザロは、線路脇の土手に生えている草を摘んでくる。食べられる草だ、と彼は知っている。村で覚えたことを、ここでも同じようにやる。
年老いたタンクレディに会い、昼食に招かれる。みんなは、なけなしの金で上等な菓子を買い、いちばんいい服を着て出かけていく。けれど、その約束は、戸口でなかったことにされる。
帰り道、教会に入る。オルガンが鳴っている。彼らが外へ出ると、その音楽が教会を抜け出して、彼らのあとをついてくる。
最後の場面は、ここには書かない。
グラスは、底のほうだ。すっかり手の温度になって、果実は引いていき、乾いたハーブと、ムスクのような匂いが残る。渋みは、はじめよりずっとやわらかい。はじめの一口とは、もう別の飲み物のようだ。
ただ、塩気だけが、同じだ。冷たい梨と一緒にいた、あの細い一本が、最後まで、少しも変わらずに舌に残っている。
ラザロは、この塩気なのだと思う。
オレンジワインなら、ほかにもある。この一本をこの映画の隣に置くのは、この樹の年齢のためだ。
この樹は、六十年以上前に植えられた。一九六四年、イタリアでは法律が変わり、新しい小作契約を結ぶことが禁じられた。小作という仕組みを、終わらせていくための法律だった。
その知らせは、インヴィオラータには届かなかった。
同じころに植えられた樹は、遠いプーリアの畑で、その年月をそのまま生きてきた。止められていた時間のぶんだけ、根を下ろし、実をつけてきた。その実を、いま、手に持っている。

アデルフィア — 靴の踵の、乾いた土
イタリアの長靴の、踵のあたり。バーリから南へ少し入った内陸に、アデルフィアという小さな町がある。
乾いた平地に、オリーブの古木が並ぶ。その間に、地を這うように低く仕立てたぶどうの樹。夏の陽は白く、土は乾いて、足もとで崩れる。
この土地では、昔から白ぶどうを皮ごと醸してきた。オレンジワインという言葉ができるずっと前から、農家の知恵として。ニカッシオ家のやり方は、その続きにある。
東へ少し行けば、アドリア海だ。海から来る風が、畑の上を通っていく。グラスの奥の、あの塩気は、たぶんここから来ている。
インヴィオラータには、海がなかった。村の人たちは、谷の外を知らないまま暮らしていた。
だからこの一杯は、あの人たちが知らなかった味だ。潮風のひと筋くらいは、ラザロに届けたくなる。

この映画の夜に
冷蔵庫から出して、しばらく置いておく。瓶に触れて、指が冷たいと感じるくらい。そのくらいで開けると、梨と塩気から始まる。
グラスは、小ぶりのコップでいい。農家の食卓のワインだから。
テーブルには、固くなりかけたパンと、豆の煮込み。オリーブをひと皿。あれば、硬いチーズを少し。質素なほど、映画の前半の食卓に近くなる。
部屋の灯りは、ひとつだけ。ランプか、手元のスタンド。琥珀色が、灯りの色と見分けがつかなくなるくらいに。
グラスは、映画と一緒に、ゆっくり進める。ラザロが崖を落ちるころ、香りが開きはじめる。音楽が教会を抜け出すころには、底のほうの、ハーブの匂いになっている。
最後のひと口は、エンドロールまでとっておく。
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香りは、すっかり変わった。
塩気だけが、はじめと同じところにある。
グラスの底に、それが残っている。
Film
幸福なラザロ / Lazzaro felice 2018 / イタリア / 127分 監督・脚本: アリーチェ・ロルヴァケル / 撮影: エレーヌ・ルヴァール(スーパー16mm) 出演: アドリアーノ・タルディオーロ, アルバ・ロルヴァケル 第71回カンヌ国際映画祭 脚本賞
配信
見放題 kino films+ Amazon Channel
レンタル Prime Video / Apple TV Store / Google Play Movies / FOD
2026年9月時点
Wine
Cantina Giara / Fatalita 2022 Malvasia 100%(樹齢平均60年以上・年産800本) ビオディナミ / 野生酵母 / マセラシオン8〜9日・旧バリック18ヶ月 / 無濾過・無清澄 / 瓶詰め時にごく少量の亜硫酸 Adelfia, Puglia, Italy



