
観終わって、いちばん覚えているのは湯気だ。
雪の下から掘り出した芋。茹で上がったばかりの筍。釜の飯。長野の山荘に一人で暮らす作家のツトム(沢田研二)は、畑のものと山のものを自分の手で料理して、書いて、食べて、一年を過ごす。
映画は二十四節気の章立てで進む。物語というより、暦だ。訪ねてくる恋人の真知子と旬のものを食べる。義母を見送る。自分も倒れる。それでも春が来ると、また畑を起こす。
ツトムの手元には、13年前に亡くした妻の遺骨がある。墓に納められないまま、いまも彼が煮炊きする台所のかたわらにある。死がずっとそこにあるのに、この映画は暗くない。掘って、洗って、茹でて、食べる。どんな感傷よりも、この繰り返しのほうが強い。
土から出たものを食べて、人もいつか土に還る。
その円環に、そのまま「環」という名前をつけたワインが、雪国の畑にある。

一杯の肖像
淡い麦わら色。香りは洋ナシと柑橘、その奥に、ほんの少しの発酵の気配。口に含むと、果実より先に旨みが来る。出汁のような、澄んでいるのに厚みのある味。よく冷やすと輪郭が立ち、少し緩むとふくらむ。
造っているのは、余市の「じきの畑」。2015年に家族で余市へ移り住み、2017年の春に独立した小さな農園だ。ワイン用のブドウを軸に、野菜も梅も栗も育てる。畑はすべて有機JAS認証。羊糞や籾殻を発酵させた堆肥で、まず土をつくるところから始める。
屋号の「じき」には、三つの意味が込められている。時季。正直。喰。
自前の醸造所は持たない。収穫したブドウとともに岩見沢のワイナリーへ赴き、秋の約2ヶ月、泊まり込みで自ら仕込みに立ち会う。育てた人が、仕込みまで見届ける——農家のワインだ。
そして「環」。畑でブドウがワインになり、人がそれを飲み、飲んだ人がまた畑を耕す。その循環を、一本にする。

なぜ、土を喰らう十二ヵ月に環なのか
手放して、還して、また注ぐ。
環と十二ヵ月
映画の一年は、直線ではなく環だ。立春の雪から始まって、めぐって、また雪に戻る。掘った芋は食卓になり、生ゴミは堆肥になり、堆肥は畑に還って、次の芋になる。ツトムの台所は、その環のいち区間にすぎない。
「環 meguru」という名前は、この構造の要約だ。畑でブドウがワインになり、人が飲み、飲んだ人がまた畑を耕す。造り手が一本に込めたのは味の説明ではなく、順路だった。
映画を観てからこのラベルを見ると、名前が映画の粗筋に見えてくる。
じき——時季、正直、喰
屋号の三つの意味は、そのままこの映画の三つの柱でもある。
時季。ツトムの料理は旬に従う。筍は待ってくれないし、梅仕事の日は梅が決める。暦に従う暮らしは、ブドウ農家の一年と同じ設計だ。
正直。土井善晴が手がけた劇中の精進料理は、素材を誤魔化さない。このワインも同じで、培養酵母も清澄剤も使わず、濾過もしない。淡いのに厚い、出汁のような旨みは、足し算では作れない味だ。
喰。じきの「き」に当てられたこの字は、映画の題名の一字と同じだ。「食べる」ではなく「喰らう」。上品ぶらない、土のついたままの動詞。
発酵は、小さな輪廻
この映画では、死と台所が同じ部屋にある。妻の遺骨のそばで筍が茹だり、義母の葬儀でツトムは自ら精進料理を振る舞う。食べることは、死んだものの命を受け取ることだと、映画は湿っぽくならずに言い続ける。
ワインは、その言い分の飲める形だ。潰れたブドウが酵母に食われて、酒になる。羊糞と籾殻が土に還って、次の房になる。発酵も堆肥も、死んだものが次の命に変わる小さな輪廻で、グラスの中の旨みはその変換の味そのものだ。
だからこの一杯は、映画のラストシーンと同じことをしている。手放して、還して、また注ぐ。

余市を旅する
北海道の余市は、雪の産地だ。積丹半島の付け根、日本海からの湿った風が、冬のあいだ畑を深い雪で覆う。
雪は敵ではない。ブドウの樹を寒風から守る布団であり、春にゆっくり溶けて畑を潤す貯水池でもある。信州の山荘でツトムが雪の下から芋を掘り出すように、余市の畑も、雪と組んで一年の設計を立てる。雪国の暦は、雪を待つところから始まる。
夏は涼しく、昼夜の寒暖差が大きい。ブドウはゆっくり熟して、酸を失わない。環の澄んだ輪郭は、この遅さの産物だ。
じきの畑は、この丘で土づくりから始めた。羊糞、籾殻、そば殻。化学肥料で急がせず、堆肥で土を育て、その土にブドウを育てさせる。「土を喰らう」という映画の題名は、ここでは比喩ですらない。ブドウは文字どおり、この畑の土を飲んで、この色になっている。
収穫の秋、造り手はブドウと一緒に岩見沢へ移動して、仕込みの2ヶ月を過ごす。畑から瓶まで、同じ手が見届ける。
その一部始終ごと、「環」は瓶に入っている。

この映画の夜に
温度: 10℃前後から。よく冷やして輪郭を楽しみ、あとは放っておく。緩むほどに旨みがふくらむ。
グラス: 大ぶりでなくていい。湯呑みほどの気安さで、食卓に置けるものを。
食事: この映画に限っては、観る前に台所に立つことを勧めたい。きのこの炊き込みご飯、青菜のお浸し、味噌汁。映画の精進に倣って肉を休ませてみると、このワインの出汁のような旨みが主役になる。
タイミング: 一時停止を恐れないこと。劇中の料理に手元が疼いたら、止めて、何か作って、続きを観ればいい。111分は逃げない。
残り: 一本を一晩で空けなくていい。翌日の一杯は少し表情が変わっている。それも「めぐり」のうち。
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土から出たものを、いただく。
いただいた命で、また畑を耕す。
グラスひとつぶんの、輪廻。
Film
土を喰らう十二ヵ月 / The Zen Diary 2022 / 日本 / 111分 監督・脚本: 中江裕司 原案: 水上勉『土を喰う日々―わが精進十二ヵ月』 劇中料理: 土井善晴 出演: 沢田研二, 松たか子, 奈良岡朋子, 火野正平, 檀ふみ
配信
見放題 Hulu / U-NEXT / FOD
レンタル Prime Video / Apple TV Store / Google Play Movies
2026年9月時点 · JustWatch
Wine
jiki(じきの畑) / 環 meguru 2022 シャルドネ、ソーヴィニヨン・ブラン、ピノ・ブラン 全圃場有機JAS認証 / 野生酵母 / 無濾過・無加熱 余市, 北海道



