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水始涸の便り

色が深く、夜が早くなる。余韻は長く残り、ワインは少しずつ温めたくなる。

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お酒は20歳になってから。飲酒運転は法律で禁止されています。

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水始涸秋分
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モリのいる場所 × 菅野 紅
名もない仕事に、名前をひとつ。

A name for the nameless work.

モリのいる場所

幕間に一杯、
Red — 三重

モリのいる場所
× 菅野 紅

Mori, The Artist's Habitat, 2018 — 沖田修一
prologue
苔と落ち葉のある小さな庭で石の縁を進む蟻の列
足元の小さな営みを、長く見る

夕方、外はまだ明るい。

冷蔵庫から出した赤を、小さなグラスに注ぐ。湯呑みくらいの大きさでいい。澄んだ紅色の向こうに、窓の外の緑が透けて見える。

鼻を近づける。いちごジャム。それから、ブルーベリー。甘く熟れた果実の匂いが、冷たいまま立ちのぼってくる。

一口。軽い。拍子抜けするほど軽い。するりと喉を通っていく。

1974年の夏、東京・豊島区の古い家の庭で、94歳の男が地面に顔を寄せている。

切り株の上を、蟻が歩いている。男は、まばたきもしない。

長い。びっくりするほど長い。

画家の熊谷守一。映画は、彼をモリと呼ぶ。この30年、ほとんど家の外へ出ていない。30坪ほどの庭の、虫や草や石を見て、描いて暮らしている。

庭の奥の池まで出かけるだけの夫に、妻の秀子が、気をつけて、と声をかける。

蟻は、左の二番目の足から歩き出す。そういうことを、この人は知っている。

グラスを置いて、もう一度鼻を寄せる。さっきの果実の後ろに、何かがいる気がする。

まだ、名前はつけなくていい。


wine
菅野 紅 2022 / 國津果實酒醸造所
菅野 紅 2022 / 國津果實酒醸造所

一杯の肖像

色は、澄んだ紅。光にかざすと、グラスの向こうが見える。

香りは、いちごジャムとブルーベリー。甘く熟れた果実が、まず鼻をいっぱいにする。

口に含むと、果実味は驚くほど豊かだ。それなのに、重くない。酸はあくまで穏やかで、タンニンもほとんど感じない。柔らかく丸いものが口の中をひとまわりして、するりと喉へ抜けていく。

飲み込んだあとに、ほんのりハーブの爽やかさが残る。甘い果実の奥に、一筋だけ青いものがある。それが、この優しい赤に奥行きをつけている。

樽は使っていない。ステンレスタンクで24ヶ月。木の香りを足さなかったぶん、葡萄の果実がそのまま、まっすぐに届く。

葡萄を育てたのは、山形県高畠町の菅野さん一家。菅野忠男さんは、約50年この畑に立ってきた。「子の葡萄達は、わしらぁにとっては、ほんと子供のようだから」。剪定は昔ながらの自然型X字。樹の形に逆らわず、葡萄に無理を押し付けない。

醸したのは、三重県名張市の山あいにある國津果實酒醸造所。醸造家・中子具紀さんの信念は「葡萄8割、人2割」。だからラベルには、自分の名前ではなく、葡萄農家の名前を掲げる。

ラベルに書いていないものが、ひとつある。品種だ。品種による先入観なく味わってほしい、と造り手は言う。

名前で選ぶワインではない。見て、嗅いで、口に含んで、自分で知っていくワインだ。


pairing
葡萄棚の下で古木の枝と葉を確かめる栽培者の手
手を入れる前に、長く見る

なぜ、『モリのいる場所』に菅野 紅なのか

長く見ていた人にだけ、見えてくるものがある。

朝の庭 — 冷たいうちに

モリの一日は、庭の探検から始まる。

杖をついて、ゆっくり出ていく。草のあいだを抜け、石の前で立ち止まり、また歩く。知り尽くした庭のはずなのに、毎朝、はじめて来た場所のように歩く。

庭の奥には、深い穴の底に小さな池がある。30年前、モリが自分で掘ったものだ。

蟻の前で身をかがめる。蝶を目で追う。池の魚を覗き込む。疲れたら、昼寝をする。

冷えているうちのグラスは、この朝の庭によく似ている。いちごジャムとブルーベリーが、まっすぐに来る。明るくて、軽くて、迷いがない。ひんやりした空気のまま、喉を抜けていく。

昼の縁側 — ぬるんでくる

家には、客が絶えない。

写真家が、庭のモリを追いかけてくる。旅館の主人が、看板の字を書いてほしいと頼みに来る。モリは頼まれた宿の名前ではなく、「無一物」と書いてしまう。何も持たない、という意味の三文字だ。

電話が鳴る。文化勲章を贈りたい、という知らせだ。モリは、あっさり断る。これ以上人が来てくれては困る、と。居合わせた客たちがのけぞって、天井からは、なぜか金だらいが落ちてくる。

52年連れ添った秀子は、それを止めない。客に茶を出し、夫の一日を、黙って回していく。

名誉を断った人の名前が、いまは映画の題になっている。

50年、名もなく葡萄を世話した人の名前が、いまはワインのラベルになっている。

名前を辞した人と、名前を贈られた人。向きは逆でも、起きたことは同じだ。仕事そのものしかなかった場所に、あとから名前がやってきた。

グラスの赤も、このころにはぬるんでいる。冷たさがほどけると、果実がふくらむ。驚くほど豊かな果実味が、丸く、柔らかく、口の中に広がる。縁側の午後と同じで、どこにも角がない。

夜の学校 — グラスの底に

隣の空き地では、マンションの工事が進んでいる。建てば、庭に日が当たらなくなる。池にも、光が届かなくなる。

モリは、30年かけて掘った池を埋めることに決める。

夜、池の穴のそばに、見知らぬ男が現れる。ここは宇宙につながっている、一緒に行かないか、と誘う。

モリは断る。自分がいなくなったら、母ちゃんが探して、疲れるから。

秀子と碁を打ちながら、モリが聞く。人生がもう一回あったら、どうする。

いやですよ、疲れるから、と秀子は言う。

モリは、自分はもっと生きたい、と言う。生きるのが好きなんだ。

夜になると、モリは「学校」へ行く。アトリエのことを、この人はそう呼んだ。昼間に見た庭を、夜の学校で描く。

グラスも、もう底のほうだ。すっかり手の温度になって、最初の冷たさはない。

そのかわり、飲み込んだあとに、ハーブの青さがほんのり残る。庭の草を指でつぶしたときのような、爽やかな一筋。冷えているうちは、甘い果実の陰に隠れていたものだ。

甘くて軽い赤なら、世の中にいくらでもある。この一本をこの映画の隣に置くのは、果実の奥に、この一筋が隠れているからだ。蟻がどの足から歩き出すかと同じで、長く見ていた人にだけ、見えてくる。

映画の終わり、建ったばかりのマンションの屋上から、写真家が庭を見下ろしている。茂った緑のどこかに、モリがいるはずだ。

家の中から、お客さんですよ、と呼ぶ声がする。庭の一日は、まだ続いている。


terroir
廃校の教室を改修した醸造室でタンクとホースを点検する作業者
子どもの声が消えた校舎に、発酵の音が戻る

高畠の棚から、名張の教室へ

山形県高畠町。置賜盆地の東の端、「まほろばの里」と呼ばれる果樹の土地だ。

夏の昼は暑く、夜になると山の冷気が下りてくる。この寒暖差が、あの熟れた果実の甘さと、穏やかな酸の両方を葡萄に仕込む。

菅野さんの棚では、古い樹がX字に枝を広げている。自然型X字剪定は、見ることから始まる仕事だ。この枝はどちらへ伸びたいのか。この樹は今年、どれくらい実をつけたがっているのか。鋏を入れる前に、まず樹を見る。

デラウェアの産地として知られる土地だが、菅野さんの棚に何が下がっているかは、内緒である。

2022年、菅野さん夫妻は畑を退き、息子の忠司さんが後を継いだ。このボトルの葡萄は、その年の実りだ。50年見守られてきた樹が、次の手に渡った年の紅色。

摘まれた葡萄は、三重県名張市の山あいへ向かう。奈良県境に近い、国津の里だ。

2018年、廃校になった旧国津小学校が、ワイナリーになった。職員室だった部屋に、醸造の道具が並ぶ。朝の放送が流れていた放送室に、タンクが置かれている。子どもの声が消えた校舎に、発酵の音が戻ってきた。

モリが毎晩通った「学校」は、庭で見たものを紙へ運ぶ場所だった。

この学校も、同じ仕事をしている。畑でほとんどが決まっているのだから、醸造所の仕事は、それを損なわずに瓶へ運ぶこと。葡萄8割、人2割。


how to drink
夜のちゃぶ台に並ぶ肉じゃが、炊き込みご飯、焼き海苔と湯呑み
庭の時間と同じ速さで、夜を食べる

この映画の夜に

平日の夜でいい。

夕飯の支度をしながら、ボトルを冷蔵庫から出しておく。ほんのり冷たさが残るくらいが、ちょうどいい。

グラスは、小ぶりなもので。湯呑みの隣に置いて、少しも浮かないワインだ。

ちゃぶ台に、肉じゃが。きのこの炊き込みご飯。焼き海苔。昭和の家の、いつもの夕飯。甘辛く煮た肉じゃがに、甘く熟れた果実がそっと寄り添う。

再生する。冷たいうちは、朝の庭を一緒に歩く。縁側に客が来るころには、果実が丸くふくらんでいる。夜の場面まで、ひとくちだけ残しておく。

映画は99分。アルコールは10%ほど。モリと秀子のように二人で一本を分けても、翌朝に重さは残らない。モリが学校へ向かうころ、ボトルはちょうど空になる。


epilogue

.

グラスの底に、草の匂いがひと筋残っている。

最初の一口では、わからなかったものだ。

蟻は、左の二番目の足から歩き出す。


Film

モリのいる場所 / Mori, The Artist's Habitat 2018 / 日本 / 99分 監督・脚本: 沖田修一 出演: 山﨑努, 樹木希林, 加瀬亮, 吉村界人, 光石研, 青木崇高, 三上博史

配信
レンタル Prime Video / Apple TV Store / Google Play Movies
2026年9月時点 · JustWatch

Wine

國津果實酒醸造所 / 菅野 紅 2022 山形県高畠町・菅野さんの葡萄100%(品種は生産者の意向で非公開) 野生酵母 / セミ・マセラシオン・カルボニック / ステンレス24ヶ月・樽不使用 / Alc 10% 三重県名張市(旧国津小学校)

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菅野 紅 2022

菅野 紅 2022

國津果實酒醸造所

Region
三重
Grape
山形県高畠町・菅野さんの葡萄100%(品種は非公開)
Type
red
Vintage
2022

山形県産ブドウ(※品種による先入観なくワインを味わって欲しいという思いから、品種名は伏せてあります。)

残りわずか

表示価格は税込

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菅野 紅 2022
國津果實酒醸造所
¥3,500

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Film

Mori, The Artist's Habitat

2018 / JP / Dir. 沖田修一

配信

レンタル
Prime Video / Apple TV Store / Google Play Movies

2026年9月時点 · JustWatch

Wine

國津果實酒醸造所 / 菅野 紅 2022

山形県高畠町・菅野さんの葡萄100%(品種は非公開)

三重

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