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水始涸の便り

色が深く、夜が早くなる。余韻は長く残り、ワインは少しずつ温めたくなる。

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水始涸秋分
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ガッジョ・ディーロ × Môl
旅の民の言葉で、赤ワイン。

In the travelers' tongue: red wine.

ガッジョ・ディーロ

幕間に一杯、
Red — オーヴェルニュ

ガッジョ・ディーロ
× Môl

Gadjo dilo, 1997 — トニー・ガトリフ
prologue
冬の村のバス停で古い旅鞄がベンチに残り、ひとりの旅人が泥道を歩いていく
言葉の通じない土地へ、録音だけを持って歩く

言葉がひとつもわからない場所で、誰かにグラスを差し出されたことがあるだろうか。

何を言われているのかは、わからない。でも、飲めと言っているのは、わかる。

飲む。喉の奥が、熱くなる。相手が笑う。

それで、少しだけ、わかった気になる。

冬のルーマニア。夜の道は凍って、ところどころで泥に変わっている。

パリから来た青年ステファンが、くるぶしまで泥に沈めながら歩いている。ポケットには、カセットテープが一本。死んだ父親が、何度も繰り返し聴いていた、ロマの女の歌だ。

歌い手の名前は、ノラ・ルカ。それ以外は、何も知らない。

道の向こうから、老人がひとり、わめきながらやってくる。


wine
Mol 2021 / ドメーヌ・ラ・ボエム
Mol 2021 / ドメーヌ・ラ・ボエム

一杯の肖像

冷えたボトルを、テーブルに置く。

栓を抜いて、注ぐ。色は、明るいルビー。赤ワインにしては、光がよく通る。グラスの向こうに、指の影が透けて見える。

鼻を寄せる。まず、潰したばかりの赤い実。ラズベリー、野いちご、さくらんぼ。その奥に、ほんの少し、黒胡椒と乾いた土の匂い。

一口。

冷たくて、みずみずしい。果実が、舌の上で弾ける。渋みはやわらかく、すぐに引いていく。飲みこんだあと、酸が口のなかを明るく洗って、もう一口が欲しくなる。

中身は、いくつもの土地の寄り合いだ。ボジョレーのガメイが4割。南のサンソー、グルナッシュ、シラー、カリニャン。そこに、白葡萄のシャルドネが15%混ざる。

赤ワインのなかに、白葡萄。それが、この色の明るさになる。南の葡萄の熱を、最後まで重くさせない。

造ったのは、パトリック・ブージュ。オーヴェルニュのドメーヌ、ラ・ボエムの主だ。

名前は、Môl。モル、と読む。

ロマの言葉で、赤ワインのことだ。


pairing
夕方の作業場で葡萄の収穫箱を受け渡す人々の手元
いくつもの土地と手が、一日の終わりに交わる

なぜ、ガッジョ・ディーロにMôlなのか

言葉は、辞書では覚えられない。酌み交わした相手から、もらうものだ。

凍える道 — 冷たいうちに

老人の名前は、イジドール。息子が警察に連れていかれたと、酒場を追い出されて、夜道に向かって怒鳴っている。

ステファンは、テープの歌い手の名前を口にする。ノラ・ルカを知らないか、と。

イジドールには、ほとんど何も通じない。それでも、この若いのを気に入る。酒を差し出す。二人で、飲む。

目が覚めると、ステファンはロマの村にいる。

グラスは、まだ冷たい。果実はきゅっと締まっていて、酸が先に立つ。凍った夜道の冷たさが、口のなかにある。

村人たちは、よそ者を歓迎しない。子どもたちが、後ろをついて歩いて囃したてる。ガッジョ・ディーロ。ガッジョ・ディーロ。

ガッジョは、ロマではない者。ディーロは、頭のおかしい。

男たちは、面白がって彼に言葉を教える。ステファンが大真面目に繰り返すと、全員が腹を抱えて笑う。教わったのは、口にするのもはばかられる悪態だった。

それでも、彼は繰り返す。

言葉は、辞書では覚えられない。笑われながら、酌み交わした相手から、ひとつずつもらうものだ。

宴の夜 — ぬるくなってくる

ステファンは、イジドールの家に住みつく。冬が、少しずつゆるんでいく。

村には、いつも音楽がある。ヴァイオリンが、ツィンバロムが、手拍子が、録音ではなく、目の前で鳴っている。婚礼の夜は長い。誰かが歌いはじめると、全員がそこへ入っていく。金歯が、火の明かりで光る。

ステファンが、輪のなかで踊っている。

グラスも、このころにはぬるくなっている。冷たさがほどけて、果実がふくらむ。胡椒の気配が、少しだけ前に出てくる。南の葡萄の、日なたの熱。

それでも、重くならない。白葡萄の明るさが、グラスの芯に残っていて、酸が次の一口を呼ぶ。宴の速度で、飲める。

村には、サビーナという女がいる。夫と別れていて、フランス語が話せる。はじめは、ステファンにいちばんとげとげしかった。

やがて彼女は、彼の通訳になる。二人は車で、村から村へ、歌い手を訪ねてまわる。ステファンは録音機を回す。サビーナが、歌の意味を訳してくれる。

ある晩、ステファンは村の男たちに、ロマの言葉で冗談を言う。

今度は、みんなが、彼と一緒に笑う。

ブージュが「モル」という言葉をもらったのも、同じような場所だった。収穫の日、隣の列で葡萄を摘んでいたロマの人たちから。ガッジョが旅の民から言葉をもらって、それを、自分のいちばん大事なものに付けた。

ドメーヌの名前は、ラ・ボエム。ボヘミアン、という言葉は、もともと西欧で、ボヘミアから来たと見なされたロマを呼んだ名前だった。

焼かれた村 — 底のほう

イジドールの息子、アドリアニが、刑務所から帰ってくる。

イジドールは喜ぶ。村じゅうが、彼を迎える。

けれど、アドリアニは町の酒場で、人を殺めてしまう。

夜、怒った男たちが村へ押し寄せる。家々に火が放たれる。アドリアニは、燃える家から出てこない。

ステファンとサビーナが旅から戻ったとき、村は、焼け跡になっている。

グラスは、底のほうに来ている。温度は、部屋と同じ。果実はいちばん丸くなって、土の匂いが少し濃い。

ひと口だけ、残しておく。

ステファンは車を走らせる。映画のはじめに歩いていた、あの道へ。道ばたの石の道標の前で、車を降りる。

旅のあいだに集めた録音テープを、一本ずつ、道標の石に叩きつける。割れたテープを、土に埋める。

ウォッカの瓶を開けて、ひと口飲む。残りを、埋めたところに注ぐ。瓶を、その上に置く。

そして、踊りはじめる。イジドールが、弔いの席で踊っていた、あの踊りを。

言葉では、何も言わない。言葉なら、もうもらっている。

残しておいたひと口を、ここで飲む。

最初の冷たさは、もうない。果実はやわらかく、胡椒と土がかすかに残る。それでも、飲みこんだあと、酸が口のなかを明るくする。

赤ワインを指す言葉なら、どこの国にもある。それでもこの一本をこの映画の隣に置くのは、Môlという名前が、ガッジョが旅の民からもらった言葉だからだ。そしてその言葉が、意味を知るより先に、喉の熱と、相手の笑い声で伝わる味をしているからだ。

車の後部座席で、眠っていたサビーナが目を覚ます。

踊るステファンを見て、彼女は、少しだけ笑う。


terroir
雨上がりのオーヴェルニュで、黒い玄武岩の石垣と農地の門が続く生活道
濡れた玄武岩が、土地の黒い背骨を見せる

畑から畑へ、そして火山の家へ

パトリック・ブージュは、IBMのプログラマーだった。

バイオ研究のシステムを組む仕事をしながら、あるとき会社に願い出る。午前中だけ働く契約社員にしてほしい。空いた午後で、1.5ヘクタールの畑を耕した。2004年、ドメーヌを構える。やがて、畑へ完全に移った。

いちばん安定した椅子を、自分から降りた人だ。テープと録音機だけを持って、パリを出たステファンのように。

本拠地は、オーヴェルニュ。フランスのほぼまんなか、火山が眠る高地だ。自分の畑は、標高500メートルのコランの村のあたりに散らばっている。足もとは、玄武岩。火山の、黒い土。

Môlの葡萄は、それよりもずっと遠くからやってくる。

北は、ボジョレー。花崗岩の丘の、ガメイ。そこから南へ下って、日差しの強い土地の、サンソー、グルナッシュ、シラー、カリニャン。どの畑も、ブージュが信頼する友人たちが、有機で育てている。

その年に良かった葡萄を、畑から畑へ、訪ねて集める。

ステファンとサビーナが、村から村へ、歌い手を訪ねたように。

集まった葡萄は、火山の土地の造り手のもとで、一本になる。北の果実の明るさと、南の日なたの熱。それを、白葡萄の酸がまとめている。

地図に線を引けば、それがそのまま、このワインの旅程になる。


how to drink
サルマーレの鍋を囲む食後の家庭のテーブルで、パンを渡し合う二人の手
器より先に、パンを渡す相手がいる

この映画の夜に

冬の夜がいい。

夕方、玉ねぎとパプリカを炒めて、ソーセージと一緒に鍋で煮込む。時間があれば、キャベツで肉を巻いた、ルーマニアのサルマーレを。パンを切って、塩を小皿に出しておく。

ボトルは、観はじめる30分前に冷蔵庫から出す。13〜14℃くらい。少しひんやりしている、というところから始める。

グラスは、なんでもいい。台所のタンブラーでいい。この映画で、酒は、きれいな器に注がれていない。

誰かと観るなら、相手のグラスから先に注ぐ。

再生する。

凍える夜道のあいだに、冷たい一口を。赤い実と、先に立つ酸。

宴の場面が来るころ、グラスはぬるくなっている。果実がふくらみ、胡椒の気配が出てくる。煮込みのパプリカと、ちょうど同じ温度になる。

グラスの底に、ひと口だけ、残しておく。

道標の前で、ステファンが踊りはじめたら、それを飲む。


epilogue

.

画面が暗くなる。

喉の奥が、まだ少し、熱い。

モル、と言ってみる。

意味は、もう知っている。


Film

ガッジョ・ディーロ / Gadjo dilo 1997 / フランス・ルーマニア / 100分 監督・脚本: トニー・ガトリフ 出演: ロマン・デュリス, ローナ・ハートナー, イジドール・サーバン 受賞: ロカルノ国際映画祭 銀豹賞など計5部門

配信 DISCAS宅配のみ
2026年9月時点

Wine

Domaine La Bohème / Môl 2021 Gamay 40%(ボジョレー), Cinsault 20%, Syrah/Grenache/Carignan 25%, Chardonnay 15% 自然派醸造 / 各地の友人の有機葡萄によるネゴス・キュヴェ Auvergne, France

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Mol 2021

Mol 2021

ドメーヌ・ラ・ボエム

Region
オーヴェルニュ
Grape
Gamay 40%, Cinsault 20%, Syrah/Grenache/Carignan 25%, Chardonnay 15%
Type
red
Vintage
2021

ガメイ40%(ボジョレー)、サンソー20%、シラー、グルナッシュ、カリニャン25%、シャルドネ15%

残りわずか

表示価格は税込

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Mol 2021
ドメーヌ・ラ・ボエム
¥4,620

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Film

Gadjo dilo

1997 / FR / Dir. トニー・ガトリフ

配信

DISCAS宅配のみ

2026年9月時点

Wine

ドメーヌ・ラ・ボエム / Mol 2021

Gamay 40%, Cinsault 20%, Syrah/Grenache/Carignan 25%, Chardonnay 15%

オーヴェルニュ

¥4,620

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