
パーティの夜、興行主レルモントフが、赤毛の若い娘に尋ねる。「なぜ踊りたい?」
ヴィッキーは、問いで返す。「あなたは、なぜ生きたいの?」
彼は少し考えて、理由はわからないが、生きなければならない、と答える。彼女は言う。それが私の答えよ、と。
やがて幕が上がる。靴屋が差し出す、一足の赤い靴。彼女がそれに足を入れた瞬間、画面から劇場の壁が消える。祭りの広場も、夜の舞踏会も、新聞紙が風に舞う街角も、彼女は踊り抜けていく。ジャック・カーディフのテクニカラーは、赤を濡れたように撮る。緞帳も、照明も、靴も、同じ赤で光っている。17分のあいだ、まばたきを忘れる。
幕が下りても、赤は画面から引かない。彼女は恋をし、舞台を離れ、それでもまた呼び戻される。最後の楽屋で、彼女の足にはもう赤い靴がある。バレエの筋書きでは、まだ履いていないはずの靴だ。パウエルは、辻褄よりもそちらを選んだ。脱げないことのほうが、ずっと大事だったから。
エンドマークのあとも、目の奥に赤が残っている。その残り火を、そのまま受けとめる一杯がある。白ブドウから生まれ、白のままではいられなかったワイン。名前は「止まらない踊り」という。

一杯の肖像
Danse de Saint Guy——「聖ギー(聖ヴィトゥス)の踊り」。フランス語で、舞踏病を指す言葉だ。意志に反して足が動きだし、踊りが止まらなくなる。中世の記録に残る、憑かれたような病の名を、このワインは堂々とラベルに掲げている。末尾の O. は、同じ名の白とは別に、果皮とともに醸したオレンジの印だ。
造り手のアントニー・トルテュルは、もともと化学者を志した人だ。二十五歳でネゴシアンとして独立し、南仏の有機栽培の農家からブドウを買って仕込みはじめた。野生の酵母だけで発酵させ、清澄も濾過もしない。この一本にも、亜硫酸は足していない。分析値を読める人が、あえて読まずに造る。生み出すキュヴェは、毎年二十から三十にのぼる。
仕込みには時間をかける。シュナン・ブランとシャルドネを、房のまま、あるいは手で粒をはずして、果皮とともに四十日。そのあと澱と一緒にアンフォラへ移し、十か月眠らせる。
グラスに注ぐと、琥珀がかった橙。最初に立つのは、凝縮した甘いスパイスと白い花だ。少し置くと、焦がした林檎の、タルトタタンのような香りが重なってくる。口に含めば、果実がたっぷりと膨らみ、その内側を石灰岩のミネラルが一本の芯になって通る。ベルガモットがふっと抜けて、最後に、活き活きとした酸が残る。南仏の熱をまといながら、足どりは軽い。

なぜ、赤い靴にダンス・ド・サン・ギーなのか
触れた瞬間から、もう元の色には戻れない。
靴に足を入れる
アンデルセンの赤い靴は、履いた者を死ぬまで踊らせる。そしてこのボトルには、意志と関係なく足が動きだす病の名が書かれている。
童話の呪いと同じことを、ラベルが言っている。偶然にしては出来すぎていて、だからこの一本を選んだ。
コルクを抜く仕草は、靴に足を入れる仕草に似ている。一度入れたら、もう自分では止められない。グラスの中身は、注いだ瞬間から香りを変えはじめる。一口目と三口目で、もう別の顔をしている。気づけば、次を注いでいる。
赤ではなく、橙
赤い靴の映画に、赤ワインは合わせなかった。
カーディフの赤は、ワインの赤とは性質がちがう。照明に透かされ、自分から光を放つ赤だ。舞台の光の下で、モイラ・シアラーの赤毛は火のように燃える。深い赤ワインをその光にかざしても、色は沈んでいくだけだ。
このワインは、白ブドウを果皮ごと醸した琥珀色から橙。光を吸いこまず、返してくる。赤い光のなかに置くと、グラスは内側から灯ったように見える。靴の赤を、一段だけ火の色にずらした色だ。映画の残り火は、この色で飲みたい。
触れたら、戻れない
ヴィッキーは、触れることで変わっていった。赤い靴に、舞台に、レルモントフの執念に、ジュリアンの恋に。どれに触れても、元の娘には戻れなかった。
オレンジワインも、触れることでできている。白ブドウの果汁を、果皮に浸したまま置いておく。触れている時間のぶんだけ色が移り、渋みの輪郭が生まれ、香りが深くなる。白い果汁は、もう白には戻らない。
造り手のトルテュルは、その接触に手を加えない。化学を学んだ人が、分析値より本能を信じ、亜硫酸という安全網も張らずに瓶へ詰める。危うさごと、そのまま渡してくる。
最期に、ヴィッキーはジュリアンに頼む。赤い靴を、脱がせて、と。
靴は脱げる。けれど、踊った時間は戻らない。グラスの橙も、もう白には戻らない。それでいい、と思わせるだけの色をしている。

ラングドックを旅する
南フランス、地中海に向かって開ける広大なワイン地帯、ラングドック。その内陸、オード川の上流に、リムーと呼ばれる高地がある。
リムーは、泡の生まれた場所として知られる。シャンパーニュより古いとも言われる発泡酒、ブランケット・ド・リムー。この土地には、もともと「じっとしていない」ワインの記憶が刻まれている。泡立ち、動きつづけるワインの故郷だ。
トルテュルは、そうした土地の畑からブドウを選ぶ。ダンス・ド・サン・ギーのシュナンとシャルドネも、リムー近郊の高地に育つ。標高のある涼しさが、南仏の熱に酸の芯を通す。熱く、けれど張りつめている——飽和したテクニカラーが、同時に張りつめて見えたように。
ネゴシアンとして始まったこの造り手は、いまも多くのブドウを、各地の農家の畑から迎えている。ひとつの土地に留まらず、キュヴェごとに行き先を変える。その身軽さもまた、踊り手の足どりに似ている。

この映画の夜に
温度: 12〜14℃。冷蔵庫から出して、上映の少し前にテーブルへ。映画が進むうちに温度が上がり、香りがひとつずつ開いていく。
灯り: 部屋の明かりを少し落とし、スタンドの灯りをグラスの向こうに置く。大きめのボウルに注げば、橙が内側から灯る。赤い映画の光を受けとめるのは、この色だ。
時間: 133分。オープニングとともに注ぐ。スパイスと白い花がまだ若いうちに、ヴィッキーはレルモントフに出会う。映画の中ほど、17分のバレエが始まる頃に注ぎ足す。タルトタタンの香りが出てきて、グラスの中も画面も、いちばん濃くなる。最後の幕のために、一口だけ残しておく。
食事: 生ハムと無花果、熟成したチーズ、焼きたてのパン。甘いスパイスの香りに負けない、輪郭の濃い皿を。上映のあいだ、手を伸ばしてつまめるものがいい。
ヴィンテージ: 同じ名前でも、年によって品種の組み合わせが変わる。この2022年は、シュナン・ブランとシャルドネ。同じステップは、二度と踏まない。
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誰もいない舞台を、スポットライトが追いかけていく。
その光の先に、グラスをひとつ置く。
橙が灯っているあいだは、まだ幕は下りない。
Film
赤い靴 / The Red Shoes 1948 / United Kingdom / 133分 監督・脚本・製作: マイケル・パウエル, エメリック・プレスバーガー 撮影: ジャック・カーディフ(テクニカラー) 音楽: ブライアン・イースデイル 出演: モイラ・シアラー, アントン・ウォルブルック, マリウス・ゴーリング 原作: ハンス・クリスチャン・アンデルセン『赤い靴』 受賞: 第21回アカデミー賞 作曲賞・美術賞
配信
レンタル music.jp
2026年9月時点
Wine
La Sorga / Danse de Saint Guy O. 2022 Chenin Blanc / Chardonnay 野生発酵 / 果皮浸漬(醸し)40日 / アンフォラで10か月熟成 / SO2無添加・無清澄・無濾過 Languedoc, France






