
栓を抜いても、しばらく何も匂わない。
グラスに注ぐ。暗い赤が、底のほうで黒く見える。鼻を近づけても、乾いた土のような気配がかすかにあるだけだ。ワインは、まだ何も言わない。
部屋が静かになる。冷蔵庫が低く鳴っている。窓の外を、車が一台通りすぎる。こんなに音があったのか、と思う。
再生する。
岩の多い斜面で、ひとりの男が木の枝を切っている。まっすぐな一本を選び、小枝を払う。それを、隣に立つ俳優に手渡す。父を演じる俳優に。
枝を切っていたのは、ガヴィーノ・レッダ。この物語を本に書いた、本人だ。
1,940年代、サルデーニャ。11月の朝の、小さな小学校。
教室の戸が開いて、父が立っている。羊飼いの服のまま、先生に何か言う。先生は、止められない。
六歳のガヴィーノは、机から引きはがされる。通路で、こらえきれずに漏らしてしまう。
父は、残った子どもたちを見まわす。おまえたちの番も、いつか来る、と。
その日から、少年の教室は、山の上の囲いになる。

一杯の肖像
グラスを、少し回す。
ようやく、匂いが動きはじめる。最初は乾いた土と、鉄のような気配。砕いた黒胡椒。岩場に生える低い木の、乾いた葉の匂い。
口に含むと、冷たいうちは硬い。タンニンが、ざらりと舌に残る。果実はまだ奥に引っこんでいて、顔を見せない。
少し置く。手の温度が移ると、黒いさくらんぼと、ミルトの実のような甘酸っぱい黒い果実がのぼってくる。磨かれた味ではない。少し荒く、少し訛っている。けれど、ちゃんと自分の声で話している。
ぶどうは、モニカ、ボヴァーレ、ティンティッル。どれも島の外では、めったに名前を聞かない品種だ。畑と蔵に棲む酵母だけで発酵させ、使い込んだ小樽で一年。澄ますことも、濾すことも、亜硫酸を足すこともせずに瓶に詰める。
造ったのは、ジャンフランコ・マンカ。島の内陸、ヌッリの村で、もとはパンを焼いていた人だ。
若いころから、サルデーニャの古いパンを焼いてきた。粉と水と、目に見えない酵母。生きているものが、生地を膨らませる。その手で、彼は放っておかれていた家族の古い畑に入った。
ワインの学校には行っていない。収穫の日も、混ぜる比率も、決まりを作らない。ラベルは毎年変わる。「直感は、神のアルファベット」と彼は言う。
蔵の名は、Panevino。パンとワイン。

なぜ、父 パードレ・パドローネにタンカ・スクリオーザなのか
黙っていたものが、少しずつ、声になる。
夜の囲い — 開けたてのうちに
山の上の、石垣で囲われた牧草地。父は息子を、そこに置いていく。
羊を数えること。乳をしぼること。鈴の音で、群れがどこにいるかを知ること。父は、それを手で教える。覚えが悪ければ、打つ。怖がっても、打つ。
夜。父が山を下りると、囲いは音だけになる。
沢の水。樫の木の葉ずれ。羊の首でこすれる鈴。遠くで、何かが枝を踏む。少年は膝を抱えて、ひとつずつ聞き分けていく。どれが風で、どれが獣で、どれが人か。
話す相手はいない。字も、ない。彼が持っている言葉は、島の言葉と、その夜の音だけだ。
グラスは、まだ冷たい。閉じていて、硬い。乾いた土と、鉄と、黒胡椒。果実は奥にいて、出てこない。耳を澄ますように、少し待つ。黙っているものほど、よく聞こえる。
アコーディオン — 空気に触れて
何年も経つ。少年は、若い男になっている。
ある日、山の向こうから音楽が流れてくる。アコーディオン。通りがかりのふたり連れが弾いている、ワルツ。
ガヴィーノは、子羊を二頭つぶして、その楽器と取り替える。父には黙って。はじめての、ひそかな反抗だ。
誰にも習わない。指で探る。耳に残ったワルツを弾こうとして、何度もつまずく。つまずいたところから、ワルツではない、彼だけの節まわしが出てくる。
山の向こうで、別の羊飼いが、笛で答える。
このころには、グラスも空気に触れている。硬かったタンニンの奥から、黒いさくらんぼと、ミルトの実のような果実が、たどたどしく出てくる。整った旋律ではない。少し荒くて、少し訛っている。けれど、ほかの誰の声でもない。
父の手 — 底のほう
オリーブの畑が、一晩の霜でやられる。一家がやっと手に入れた畑だった。
ガヴィーノは、村の若い男たちとドイツへ働きに出ようとする。父はそれを許さず、息子を軍隊に入れる。
兵舎で、彼ははじめて字を覚える。同じ部屋の男に教わって、一文字ずつ。無線の組み立てを学び、ある日、自分で組んだ受信機から、あのワルツが流れてくる。
除隊して、島に戻る。大学へ行く、と言う。
父は許さない。二人はぶつかる。言葉で、それから体で。
それでも、映画は父を、ただの悪人としては描かない。この土地では、長男を山に上げなければ、下の子どもたちが飢えた。父の手は、息子を打った手であり、家族を食べさせてきた手でもある。
ガヴィーノは、その手を振りほどいて、海を渡る。大学で、島の言葉を研究する人になる。
グラスの赤も、底のほうだ。すっかり手の温度になって、果実は引いていき、土と、かすかな苦みが残る。タンニンは、はじめよりずっとやわらかい。けれど、消えてはいない。舌の上に、ざらりと、まだいる。
ほどけても、なくならないものがある。
サルデーニャの赤なら、よくできたカンノナウがいくらでもある。この一本をこの映画の隣に置くのは、ラベルに、ひとつの言葉が書いてあるからだ。
Tanka。サルデーニャの言葉で、石垣に囲われた牧草地のこと。少年が置き去りにされた、あの囲いの名前だ。
このワインのぶどうは、その名で呼ばれる区画から来ている。島の外ではほとんど知られていない品種を、教科書なしに混ぜて。あの夜の囲いと同じ名前の土から出てきたものを、いま、手に持っている。

石垣の内側
島の南の内陸、ヌッリの村のまわりには、乾いた丘がどこまでも続いている。
夏の風は熱い。低い木の茂みが、刈られずに斜面を覆っている。ミルト、ねず、野生のローズマリー。島の人がマッキアと呼ぶ茂みだ。歩くと、靴の下で乾いた葉が匂う。
丘を、低い石垣が区切っている。積んだのは、何代も前の羊飼いたちだ。その内側が、タンカ。
マンカの畑も、そういう囲いのなかにある。片岩と粘土の、痩せた土。放っておかれていた古い株を、彼は一本ずつ起こしていった。支柱も針金も使わない。地面から低く、盃のように枝を広げる、島の昔の仕立て方のままだ。蔵の畑には、三十ほどの品種が混ざって植わっている。
ここで話されるサルデーニャ語を、イタリア語の方言ではなく、ひとつの言語だと考える学者は多い。ガヴィーノ・レッダが生涯をかけて研究したのは、その島の言葉だった。
グラスの最後に残る、乾いた葉と土の匂い。あれは、この丘の匂いに似ている。

この映画の夜に
パン・カラザウを、一袋買ってくる。紙のように薄く、硬く焼いたサルデーニャのパンだ。羊飼いたちが、山へ何日も持って上がった。
ペコリーノ・サルドを、少し厚めに切る。オリーブを小皿に。それだけでいい。
ボトルは冷蔵庫に少し入れておいて、観る前に出す。手に持って、ひんやりする程度に。栓は、再生する前に抜いておく。はじめは黙っているワインだから。
グラスは、ふだんの赤ワイングラスで。なければ、厚手のコップでもいい。羊飼いの小屋に、薄いグラスはない。
部屋の灯りを、少し落とす。
教室の場面で、冷たいひと口を。夜の囲いのあいだは、グラスを置いて、音を聞く。アコーディオンが遠くから聞こえてきたら、もう一度。果実が、出てきている。
カラザウを割る。乾いた、高い音がする。夜の囲いで、何かが枝を踏んだ音に、少し似ている。
父と息子が向かい合うころまで、グラスの底に、ひとくち残しておく。
.
映画が終わって、部屋に音が戻ってくる。
冷蔵庫が、低く鳴っている。
グラスの底に、乾いた土の匂いが、まだ少し残っている。
Film
父 パードレ・パドローネ / Padre Padrone 1977 / Italy / 114分 監督・脚本: パオロ・タヴィアーニ, ヴィットリオ・タヴィアーニ 撮影: マリオ・マシーニ 出演: オメロ・アントヌッティ, サヴェリオ・マルコーニ, ファブリツィオ・フォルテ, ガヴィーノ・レッダ(本人) 原作: ガヴィーノ・レッダ『Padre padrone. L'educazione di un pastore』 受賞: 第30回カンヌ国際映画祭 パルム・ドール / 国際批評家連盟賞
配信 DISCAS宅配のみ
2026年9月時点
Wine
Panevino / Tanka Scuriosa Monica / Bovale / Tintillu(サルデーニャ土着品種の混醸) 畑: Tanka Salina, Canali Scuriosu(片岩・粘土) 野生酵母で発酵 / 古い小樽で12ヶ月 / 無清澄・無濾過・亜硫酸無添加 Nurri, Sardegna, Italia






