蟋蟀在戸の便り

色が深く、夜が早くなる。余韻は長く残り、ワインは少しずつ温めたくなる。

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© 2026 cinema.wine

山猫 × マルコ・デ・バルトリ インテジェル・グリッロ
落日は、琥珀になる。
幕間に一杯、
Orange — シチリア

山猫
× マルコ・デ・バルトリ インテジェル・グリッロ

Il Gattopardo, 1963 — ルキーノ・ヴィスコンティ
prologue
昼の古いシチリアの館で、退色した壁を手入れする作業員
古い壁を残すために、今日も手を入れつづける

灯りをひとつだけ残して、ボトルを出す。冷蔵庫から出して、しばらく置いておいたものだ。瓶に触れると、指がひんやりするくらい。

濾していないから、グラスの中は少し濁っている。深い金色に、琥珀の照り。暗い窓を背にすると、蝋燭の炎のような色になる。

口に含む。まず、レモンの皮と、オレンジの皮。そのあとから、舌の脇に塩が来る。飲み込むと、奥歯のあたりに、果皮のかすかな渋みが残る。甘さは、まだ奥で黙っている。

再生する。

1,860年、シチリア。ガリバルディの赤シャツ隊が、島に上陸している。パレルモのサリーナ公爵の館にも、その噂は届いている。

公爵が髭を剃っていると、甥のタンクレディが入ってくる。これから山へ行く、反乱軍の側につく、と言う。僕たちがいなければ、あいつらは共和国をつくってしまう。すべてを今のままにしておきたいなら、すべてが変わらなければならない。

公爵は、笑って甥を送り出す。

館も、土地も、名前も、まだ手の中にある。この男は、まだ何も失っていない。

グラスも、まだ冷たい。皮と塩ばかりで、口数が少ない。今夜は、それでいい。


wine
Integer Grillo 2021 / マルコ・デ・バルトリ
Integer Grillo 2021 / マルコ・デ・バルトリ

一杯の肖像

グラスを、灯りのほうへかざす。

薄く濁った金色が、縁に向かって琥珀に変わっていく。白ぶどうから造ったのに、白ワインの色ではない。

ぶどうは、グリッロ。シチリアの西の端、マルサラの町から少し内陸に入った、サンペリという土地で育つ。石灰と砂の混じった土に、二十年を越える木が立っている。

房から実を外し、赤ワインを造るときのように、皮ごと発酵させる。液を回すことも、皮を沈めることもしない。開いた槽と、素焼きのアンフォラに置いておくだけだ。発酵が終わっても、およそ一年、同じ器の中で滓とともに眠らせる。濾さず、澄ましもせず、亜硫酸も加えない。

冷たいうちは、柑橘の皮と塩。空気に触れ、手の中で温まるにつれて、蜂蜜と乾いた黄桃、カモミールがほどけてくる。舌に残る渋みは、ふつうの白ワインにはないものだ。皮と一緒に過ごした日々が、そのまま残っている。

名前は、Integer。ラテン語で、欠けていない、手つかずの、という意味だ。品種を丸ごと、土地を丸ごと、瓶に移す。そういう名前だ。

蔵の名は、マルコ・デ・バルトリ。けれど、この一本を始めたのは、マルコではない。彼の息子たちだ。


pairing
行事の翌朝、古いシチリアの広間で椅子と布を片づける二人
華やかな夜のあとも、広間を次の時間へつなぐ仕事がある

なぜ、山猫にインテジェル・グリッロなのか

自分は、変わらない。未来は、手渡す。

ドンナフガータの夏 — 開けたてのうちに

夏になると、一家は領地ドンナフガータの館へ向かう。馬車で、何日もかけて。乾いた丘と、照りつける陽と、白い埃の道。

町に着くと、そのまま教会に入る。聖歌が響くあいだ、公爵の一家は並んで座っている。服も、髪も、顔も、道の埃で白く粉をふいたまま。

晩餐の夜、町長の娘アンジェリカが遅れて入ってくる。広間の空気が変わる。タンクレディが戦場の下品な話をすると、彼女は声をあげて笑う。この館の食卓で、そんなふうに笑う者はいない。

公爵は、笑う娘を見ている。新しい時代が、自分の食卓についたのだと知っている。

グラスは、まだ冷たい。柑橘の皮と、塩。奥歯に、皮の渋み。暑い土地のワインなのに、口の中は乾いて、涼しい。

断った席 — 温まってくる

北の新しい政府から、使者がやってくる。シュヴァレーという、実直な男だ。新しい王国の上院議員になってほしい、と頭を下げる。

公爵は、断る。シチリアは眠りたがっている、と彼は言う。起こされることを望んでいない。

そして、自分たちのことをこう言う。私たちは山猫だった、獅子だった。あとに来るのは、ジャッカルとハイエナだろう。それでも、山猫も、ジャッカルも、羊も、みな自分を地の塩だと思いつづける。

新しい国に、自分の居場所はない。だから、彼は動かない。変わるのは、甥の仕事だ。

グラスは、手の中で温まってきた。柑橘の奥から、蜂蜜がのぼってくる。乾いた黄桃と、カモミール。冷たいうちには隠れていた甘い層が、ひとつずつ顔を出す。

それでも、舌の上の塩は、そのままだ。奥歯の渋みも、消えない。

舞踏会 — 手の温度で

アンジェリカが、はじめて社交の場に出る夜。パレルモの館の広間がいくつも続き、蝋燭が数えきれないほど灯っている。夏の夜で、どの部屋も暑い。女たちの扇が止まらない。

公爵は、踊らない。部屋から部屋へ歩き、若い娘たちのはしゃぐ声を聞き流し、やがて、ひとりで書斎に入る。

壁に、一枚の絵が掛かっている。グルーズの『正しき人の死』。寝台に横たわる老人と、そのまわりで泣く家族。公爵は水を一杯飲み、長いあいだ、その絵を見ている。自分の死も、こんなふうだろうか。

そこへ、タンクレディとアンジェリカが入ってくる。アンジェリカが言う。踊ってください。

公爵は、ワルツなら、と答える。

広間の真ん中で、老いた山猫が、成り上がりの町長の娘を抱いて回る。まわりの客が、手を止めて見ている。その数分だけ、公爵は若いころの顔に戻っている。

曲が終わる。アンジェリカは、若い婚約者の隣へ戻っていく。

グラスは、もう手と同じ温度だ。香りは、いまがいちばん豊かになっている。蜂蜜、乾いた杏、焼いたアーモンド、かすかな花。開けたての硬い飲み物と、同じものとは思えない。

けれど、舌の奥には、あの塩と渋みがある。冷たいうちからずっと、変わらずにそこにある。

公爵も、何ひとつ変わらなかった。変わらないまま、未来を若い二人に手渡した。


琥珀色のワインなら、ほかにもある。この一本を山猫の隣に置くのは、この蔵にも、同じ手渡しがあったからだ。

マルコ・デ・バルトリは、若いころ、サーキットを走っていた。やがて故郷マルサラに戻り、家族の土地サンペリで、ワインを造りはじめた。

マルサラは、かつて王侯の食卓に上った酒だった。それが二十世紀のあいだに、料理用の安酒として大量に造られるようになった。同じ土地の人間が、マルサラという名前を、ほとんど下品な言葉にしてしまった。マルコはそう憤り、シチリアの荒廃を語るときには、目に涙を浮かべたという。

彼は古い樽に、毎年少しずつ若いワインを注ぎ足して、失われた酒を甦らせた。父の酒と呼べるものがあるとすれば、それだ。

息子たちは、その酒をそのまま真似なかった。父がまだ蔵にいたころ、同じ土地の同じグリッロを、酒精も足さず、皮ごと醸して、手つかずのまま瓶に詰めはじめた。それが、この Integer だ。

父の酒を守るために、父と違う酒を造る。すべてを今のままにしておきたいなら、すべてが変わらなければならない。映画では日和見の言葉だった台詞が、この蔵では、受け継ぐための言葉になっている。


terroir
夕陽に照らされたマルサラ近郊のブドウ畑と石壁
西シチリアの畑に、琥珀色の一日が沈む

マルサラを旅する

シチリア島の西の端、アフリカにいちばん近いイタリア。マルサラは、海と塩と陽の土地だ。

海沿いには、四角く区切られた塩田が続いている。浅い水が陽に干上がり、白い塩の山が並ぶ。夕方になると、その水面が空の色を映す。

十八世紀、イギリスの商人がこの土地の白ワインに酒精を加え、長い船旅に耐える酒にした。それがマルサラの始まりだ。王侯の食卓を飾った酒は、やがて安酒に堕ちた。映画の中で、古い貴族の世界が新しい時代に呑まれていったように。

サンペリの畑は、町から10キロあまり内陸にある。石灰と砂の土。照りつける陽と、海から上がってくる風。グラスの中の塩は、この土地の記憶のように舌に残る。

使者に向かって、公爵は、誰もが自分を地の塩だと思っている、と言った。このワインの塩は、思い込みではない。畑と海の近さが、そのまま味になっている。

陽が海に沈むとき、マルサラの空は、このグラスと同じ色になる。落日と琥珀は、この土地では、いつも隣り合っている。


how to drink
家庭の食卓で、熟成チーズ、アーモンド、ドライ無花果、からすみを取り分ける手
塩と時間を含んだ皿を、ゆっくりつまむ

この映画の夜に

冷蔵庫から出して、しばらく置いておく。瓶に触れて、指がひんやりするくらい。そのくらいで開けると、皮と塩から始まる。

濾していないワインだから、瓶は少し前から立てておく。そっと注げば、底の澱は瓶の中に残る。濁りは、そのままでいい。

グラスは、大きめのボウルのものを。三時間かけて開いていく香りに、場所をあけておくために。

テーブルには、熟成したペコリーノか、硬いチーズ。アーモンド、干した無花果、からすみ。お腹が空いていたら、ハーブで焼いた魚か、セージで煮込んだうさぎを。塩と時間を含んだ皿が、このワインの隣に合う。

映画は、およそ三時間。一本を、その三時間に合わせて空けていく。ドンナフガータの晩餐のころ、グラスはまだ冷たい。公爵が上院の席を断るころ、蜂蜜がのぼってくる。舞踏会の広間では、グラスも手の温度になっている。

夜明けの場面のために、ひと口だけ、残しておく。


epilogue

.

舞踏会が終わるのは、夜明けだ。

公爵は馬車に乗らず、ひとりで歩いて帰る。灰色の空の下、まだ誰もいない通り。

臨終の人のもとへ向かう司祭が、通りかかる。公爵は道の端で膝をつき、それが過ぎるのを待つ。

立ち上がり、空を見上げる。明けの星に、いつになったら、もっと確かな場所で会ってくれるのか、と問いかける。

それから、暗い路地へ入っていく。

残しておいたひと口を飲む。香りは、すっかり変わった。塩と、皮の渋みだけが、栓を抜いたときのまま残っている。


Film

山猫 / Il Gattopardo (The Leopard) 1963 / イタリア・フランス / 約185分 監督: ルキーノ・ヴィスコンティ 撮影: ジュゼッペ・ロトゥンノ 音楽: ニーノ・ロータ 出演: バート・ランカスター, アラン・ドロン, クラウディア・カルディナーレ 原作: ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサ『山猫』 受賞: 第16回カンヌ国際映画祭 パルム・ドール

配信
レンタル Apple TV Store
2026年9月時点 · JustWatch

Wine

Marco De Bartoli / Integer Grillo 2021 Grillo 100% 発酵のあいだ果皮浸漬 / 開放槽・アンフォラ / 野生酵母 / 滓の上で約1年 / SO2無添加・無濾過・無清澄 Contrada Samperi, Marsala, Sicilia, Italia

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Integer Grillo 2021

Integer Grillo 2021

マルコ・デ・バルトリ

Region
シチリア
Grape
Grillo 100%
Type
orange
Vintage
2021
Serve
13–16℃

発酵のあいだ皮ごと醸した、無濾過・亜硫酸無添加のグリッロ。冷えているうちは柑橘の皮と塩、奥歯に果皮のかすかな渋み。温まるにつれて蜂蜜、乾いた黄桃、カモミールがほどけ、手の温度では乾いた杏と焼いたアーモンドまで開く。塩と渋みは最初から最後まで残る。

残りわずか

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Il Gattopardo

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マルコ・デ・バルトリ / Integer Grillo 2021

Grillo 100%

シチリア

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