
1,970年、12月。ニューイングランドの寄宿学校から、迎えの車が一台ずつ出ていく。廊下の声が減り、ラジエーターの音だけが大きくなる。
残されたのは、三人だ。生徒にも同僚にも嫌われている古代史の教師、ハナム。母親が再婚相手との新婚旅行を選び、行き場をなくした生徒、アンガス。そして食堂を切り盛りするメアリー。彼女の息子カーティスは、大学へ進む学費がなかったために兵役を猶予されず、ベトナムで死んだ。
誰にでも、帰りそびれた冬がひとつくらいある。帰る家がなかった年。帰らないと決めた年。帰っても、自分の席がなかった年。
アレクサンダー・ペインの『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』は、そういう冬を、他人どうしの三人が越す話だ。
部屋の明かりを、ひとつだけ残して落とす。瓶を開ける。

一杯の肖像
注ぐと、色は濃いめのピンクだ。赤ワインと呼ぶには明るく、縁のほうがわずかにオレンジへ傾いている。この映画の美術は、校舎の暗い木の上に、褪せたマルーンの布を足した。グラスの色は、その布に近い。
開けたては、控えめだ。鼻を近づけると、小さな赤い実がそっといる。赤スグリ、酸っぱいさくらんぼ。甘い匂いではない。グラスをまわして、しばらく放っておく。
口に含むと、軽い。度数は11%ほどで、重さで押してこない。小さな果実に、すっと引き込まれる。酸は穏やかで、果実と並んで歩く。種のまわりの果肉を噛んだときのような、少し青い甘酸っぱさがある。
渋みはきめが細かく、舌にほとんど引っかからない。飲み込んだあと、石灰の土地らしい、かすかな塩気が残る。長く居座る余韻ではない。すっと引いて、次のひと口を呼ぶ。
三十分ほどたつと、様子が変わる。果実が前へ出てきて、その奥に乾いた花のような香りが立つ。最初の控えめさは、中身がなかったからではない。まだ、打ち解けていなかっただけだ。
造り手は、ジュラ南部のオルバニャ村にあるドメーヌ・デ・ロンス。ケヴィン・マジエが、粘土質石灰の畑でトゥルソーを育てている。
収穫した房は、手で網にこすりつけて除梗する。ぶどうが乾かないよう、二日に一度だけ、優しく果帽を沈める。抽出は軽い。ステンレスタンクで十二ヶ月寝かせ、濾過せずに瓶に詰める。樽の香りで飾らない、素直な赤だ。

なぜ、『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』に、トゥルソー 2022 なのか
祝わない夜に、小さな炎。
テレビの前のメアリー
ある夜、メアリーはひとりでテレビを見ている。新婚夫婦が互いのことを答えるクイズ番組だ。画面の夫婦を眺めて、あの二人は別れる、と言う。
ハナムは、テレビはあまり見ないと答える。メアリーは呆れた顔をする。どこの星で暮らしてきたの、と。
三人は、まだ互いのことを知らない。知ろうともしていない。ハナムは規則を読み上げ、アンガスは口答えをし、メアリーは黙って画面を見ている。
最初のひと口も、そんなふうに静かだ。小さな赤い実が、遠慮がちにそこにいる。まだ、何も打ち明けてこない。
駐車場の、小さな炎
クリスマス・イヴ。招かれたパーティーで、メアリーは酒を重ねる。やがて、息子のことを話しはじめ、崩れる。ハナムは、早めに皆を連れて帰る。
ペインは、この作品をクリスマス映画だとは思っていないと言う。たしかに、画面に飾りつけはほとんどない。それでもハナムは、小さなクリスマスを用意する。メアリーが、限られた食材でハムを焼き、マッシュポテトとさやいんげんを添える。
別の晩、三人はレストランで、隣の席に運ばれる火のついたデザートを見る。さくらんぼとアイスクリームに酒をかけて燃やす、チェリー・ジュビリー。頼むと、酒が入っているからと断られる。三人は駐車場で、自分たちの手でそれに火をつける。
グラスの中でも、このころ果実が前へ出てくる。酸っぱいさくらんぼが近くなり、奥で乾いた花が香る。祝祭の金色ではない。駐車場の暗がりで、三人の顔を一瞬だけ照らす、小さな炎くらいの明るさだ。
かばう嘘
口論のあと、アンガスは当てつけのように体育館の器具に飛び込んで、肩を外す。病院で、彼は怪我の理由について嘘をつく。ハナムを、かばうために。
年が明けて、今度はハナムが嘘をつく。アンガスが父親に会いに行ったのは、自分の考えだった、と。責めをすべて引き受け、学校を追われる。アンガスは、学校に残れる。
二人は、短い握手で別れる。多くは言わない。
このワインの余韻も、長くはない。きめの細かい渋みと、かすかな塩気を残して、すっと引いていく。けれど、口の中から小さな赤い実の記憶が消えない。短い握手のあとに、手のひらに残る温度のように。

オルバニャを旅する
ジュラ県の県庁所在地ロン・ル・ソーニエから、南へ。スイス国境へ連なる山並みが、ブレスの平野へ下りていく手前に、ゆるやかな丘が続いている。オルバニャは、その丘の間にある小さな村だ。
冬に訪ねれば、畑は剪定を終え、低い樹が列になって並んでいるはずだ。足もとは粘土に石灰が混じり、雨のあとは靴に重く貼りつく。この土が、トゥルソーの酸を保ち、飲み込んだあとのかすかな塩気を残す。
トゥルソーはジュラの古い品種で、同じジュラのプルサールより色も骨格もしっかり出る。ケヴィンはそれを、あえて軽く抽出する。押しつけず、タンクで一年、静かに待つ。
オレンジがかったピンクは、この丘の土と、急がない一年から来ている。

この映画の夜に
温度: 14〜16℃。冷蔵庫に入れていたなら、映画を始める三十分から一時間前に出して抜栓する。冷やしすぎると、果実が閉じたままになる。
グラス: ブルゴーニュ型の、ふくらみのあるもの。注いだら一度、灯にかざしてほしい。縁のオレンジが見える。
時間: 約133分。生徒たちが学校を去り、三人が取り残されるころに注ぐ。まだ控えめな香りと一緒に、冬の校舎へ入っていく。クリスマスのころに、注ぎ足す。果実が前へ出て、花が香りはじめている。最後のひと口は、ハナムの車が走り出すまで残しておく。
食事: メアリーの食卓に倣って、ローストしたハムとマッシュポテトを。穏やかな酸が、ハムの塩気をすっとまとめる。鴨のロースト、きのこのソテーもいい。チーズなら、同じジュラのコンテを。
ヴィンテージ: 2022年。温かく、日照に恵まれた年で、果実がやわらかく熟している。いまが飲み頃に入ったところだ。
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車のなかで、ハナムは持ち出した高い酒をひと口含み、学校のほうへ吐き出して、走り去る。
グラスは、もう空だ。
酸っぱいさくらんぼの匂いだけが、まだ残っている。
Film
ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ / The Holdovers 2023 / アメリカ / 133分(日本公開 2024-06-21) 監督: アレクサンダー・ペイン 脚本: デビッド・ヘミングソン 撮影: アイジル・ブリルド 編集: ケビン・テント 美術: ライアン・ウォーレン・スミス 衣裳: ウェンディ・チャック 音楽: マーク・オートン 出演: ポール・ジアマッティ, ダバイン・ジョイ・ランドルフ, ドミニク・セッサ ほか
Wine
Domaine des Ronces / トゥルソー 2022 Trousseau 100% 手除梗、軽い抽出、ステンレスタンク十二ヶ月、無濾過 Orbagna, Côtes du Jura, Jura, France





