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水始涸の便り

色が深く、夜が早くなる。余韻は長く残り、ワインは少しずつ温めたくなる。

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水始涸秋分
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君の名前で僕を呼んで × サッサイア
あの夏の下には、火山がある。

Beneath that summer, a volcano.

君の名前で僕を呼んで

幕間に一杯、
White — ヴェネト

君の名前で僕を呼んで
× サッサイア

Call Me by Your Name, 2017 — ルカ・グァダニーノ
prologue
北イタリアの古い街角で煉瓦壁に立てかけられた二台の自転車
誰もいない午後に、ふたりの移動だけが残っている

栓を抜くのは、日が傾きはじめてからでいい。

冷えた瓶の肩に、すぐ水滴がつく。麦わら色を注いで、ひと口。洋梨と、濡れた石。果実はきれいなのに、まだ何も話そうとしないワインだ。

再生すると、1983年の夏がはじまる。開け放した窓。風でふくらむカーテン。父の研究助手に自分の部屋を明け渡すことになったエリオは、二階の窓から、車を降りてくる背の高いアメリカ人を見下ろしている。部屋を奪いにきた男だ、と冗談めかして言いながら。

オリヴァーはろくに挨拶もせず、少し眠らせてくれと言って、そのまま夕食の時間まで起きてこない。

「あとで」。それが彼の別れ際の言い方で、エリオはその軽さが気に入らない。プールサイドで楽譜に向かいながら、向こうのデッキチェアを見ないようにしている。見ないようにしていることを、自分でも知っている。

グラスの中は、まだ冷たい。この夏も、まだ何も起きていない。


wine
Sassaia 2022 / ラ・ビアンカーラ
Sassaia 2022 / ラ・ビアンカーラ

一杯の肖像

グラスを窓の光にかざすと、麦わら色の中に、ごく淡い緑と金色が混じっている。北イタリアの、夏の午後の色だ。

冷たいうちは、洋梨と白い花、濡れた石。輪郭ははっきりしているのに、香りは奥へ引っこんでいる。口に含むと、まず果実の丸さが来る。飲みこんだあと、舌の奥に小さな苦みがひとつ残る。この苦みは、グラスが空になるまで消えない。

サッサイアは「石の多い場所」という意味の畑の名だ。ヴェネト州ガンベッラーラの丘で、畑の足元には黒い玄武岩が埋まっている。遠い昔の火山が残していった石だ。

造るのはアンジョリーノ・マウレ。1988年、妻のロザマリアとこの丘に「ラ・ビアンカーラ」を築いた。ガルガーネガ主体の葡萄を数日だけ皮ごと浸し、大樽の中で、野生の酵母に発酵を任せる。温度は管理しない。亜硫酸はごくわずかで、年によっては加えない。そして、濾過をしない。

濾過をすれば、ワインは澄んで、揃う。けれどそのとき、角も、ざらつきも、いっしょに取り除かれる。マウレはそれをしない。自然派の生産者団体 VinNatur を立ち上げ、若い造り手たちを長く見守ってきた人は、自分のワインから何かを削ることを、いちばん嫌う。


pairing
火山性の石が残る畑で淡い葡萄を収穫箱に移す手元
熱を抱えた石のそばで、熟すのを待つ

なぜ、CMBYNにサッサイアなのか

感じたことを、消さないで。

冷たいうちに

昼の食卓には、庭で採れた杏が盛られている。父がこの果物の名の由来を話しはじめると、オリヴァーがそれを正す。ラテン語の「早く熟す」から来ているのだ、と。父は満足そうに笑う。エリオは黙って、皿の上の杏を見ている。

ピアノの前のエリオに、オリヴァーが、さっきの曲をもう一度弾いてくれと頼む。エリオはわざと、ほかの作曲家ならこう弾いただろう、という崩し方でしか弾かない。素直に頼まれたものほど、素直に差し出せない。

バレーボールの合間に、オリヴァーの手がエリオの肩にふれる。揉むように、少しだけ。エリオは身をよじって、その手から抜ける。

このあたりで、グラスをもう一度口に運んでほしい。冷たいまま、洋梨と濡れた石。ワインはまだ、本当のことを言わない。あの夏のはじめのエリオと同じで、黙っていることで何かを守っている。

温まってくる

夏が深くなると、庭の桃は熟れすぎて、枝の先で重くなる。

ある夜、母が古い物語を読んでくれる。姫に恋をした騎士が、打ち明けるべきか、黙って死ぬべきかと迷う話だ。エリオは、自分にはそんな勇気はないと言う。

翌日、街の広場の戦没者の記念碑を、ふたりは自転車を押しながら回る。何でも知っているんだな、と言われて、エリオは、大事なことは何ひとつ知らない、と答える。記念碑をはさんで、ふたりは反対側にいる。エリオは言いかけて、言い終えないまま、相手の顔を見る。そのあと彼は、オリヴァーを自分だけの場所へ連れていく。草の斜面の下を、冷たい水が流れている。

扉の下に差しこんだ紙に、返事がくる。子どもみたいなことを言うな、真夜中に、と。

暗い部屋で、オリヴァーは言う。君の名前で僕を呼んで、僕の名前で君を呼ぶから。エリオは、自分の名前を、相手に向かって呼ぶ。

このころ、グラスもぬるくなってくる。ひと口ふくむと、さっきまで黙っていた香りがふくらんでいる。熟したりんご、蜜の気配。その下から、煙るような石の匂いが立ちのぼってくる。冷たいうちは隠れていた、足元の火山だ。表面はまぶしいまま、内側だけが熱い。エリオが夏のあいだずっと、そうだったように。

底のほう

夏の終わりに、ふたりはベルガモへ小さな旅に出る。夜の石畳を走り回り、笑い、飲みすぎたエリオは路地で吐く。

駅で、オリヴァーは列車に乗る。ホームに残ったエリオは、公衆電話から母に電話をかけ、迎えに来てほしいと頼む。帰りの車の中で、彼は窓の外を見たまま泣いている。

家に戻ったエリオに、父が書斎で話しかける。何があったのかを知っていることを、隠さずに。ひとは早く楽になりたくて、自分の心を削りすぎる。何も感じないために何も感じなくなるのは、もったいない。いまの痛みを殺してはいけない。それといっしょに、あの喜びまで消えてしまうから。

グラスに残しておいたひと口を、ここで飲む。ぬるくなったサッサイアは、果実がほとんど引いて、舌の奥に苦みだけが長く残る。甘い夏の、いちばん奥にある味だ。

火山の白なら、隣のソアーヴェにもある。ガルガーネガなら、もっと手ごろなものもある。それでもこの一本をこの映画の隣に置くのは、マウレが濾過をしないからだ。澄ませるために角を削らない。飲みやすくするために、苦みを取らない。この苦みは、造り手が消さずに残したものだ。

冬の場面は、ここには書かない。


terroir
ガンベッラーラの田舎道に沿って積まれた黒い玄武岩の石垣
道端にも、眠った火山の輪郭が露出している

ガンベッラーラを旅する

エリオたちが自転車で走ったクレマから、東へ車で2時間ほど。ヴェネツィアとヴェローナのあいだ、ソアーヴェの隣に、ガンベッラーラという小さな丘の産地がある。知名度では隣人に遠く及ばない。同じ空の下にあって、同じ夏の光を浴びている。

数百万年前の火山活動が残した、黒い玄武岩の丘。土は鉄とミネラルを多く含み、水はけがよく、昼の熱を蓄えて、夜の葡萄に返す。ここで育つガルガーネガは、平野のものとは別人になる。果実の丸さの奥に、煙るような石の気配と、背筋の通った苦みを持つ。

アンジョリーノ・マウレは、この丘の可能性にいちばん早く気づいたひとりだった。化学肥料と添加物が当たり前だった時代に背を向けて、野生の酵母と大樽だけの醸造に賭けた。うまくいかない年もあった。それでも、やり方を削らなかった。いまでは彼のセラーに、世界中から若い造り手が学びに来る。

昼の熱は、日が落ちても石の中に残っている。この丘の葡萄は、その熱を毎晩少しずつ受け取って熟していく。


how to drink
夏の夕方、食後の皿と本と水のコップが残るテラスのテーブル
日が傾いてから、急がずにひらくのを待つ

この映画の夜に

日が傾きはじめたら、瓶を冷蔵庫から出す。触れた指が冷たいと感じるくらいで、ちょうどいい。中くらいの白ワイングラスに注いで、一度だけ窓の光にかざしてから、再生する。

テーブルには、北イタリアの夏にあるものを。桃と生ハム。ブッラータとトマト。レモンを搾った白身魚。杏のタルトがあれば、あの昼の食卓に招かれた気分になれる。

グラスは急がずに。冷たいうちは、オリヴァーが来たばかりの家にいる。ぬるくなるにつれて、夏が深くなる。記念碑の場面のころに香りがひらき、書斎の場面のために、苦みの残るひと口をとっておく。132分は、このワインが本当のことを言いはじめるまでの時間と、だいたい同じだ。

エンドロールが終わっても、すぐに片づけなくていい。


epilogue

.

瓶は空いた。

舌の奥に、まだ苦みが残っている。

消さなくていい。あの夏も、この一杯も。


Film

君の名前で僕を呼んで / Call Me by Your Name 2017 / Italy, France, Brazil, USA / 132分 監督: ルカ・グァダニーノ 脚色: ジェームズ・アイヴォリー 撮影: サヨムブー・ムックデープロム 出演: ティモシー・シャラメ, アーミー・ハマー, マイケル・スタールバーグ

配信
見放題 U-NEXT / FOD / WOWOWオンデマンド / Bloome plus Amazon Channel ほか
レンタル Prime Video / Apple TV Store / Google Play Movies
2026年9月時点

Wine

La Biancara (Angiolino Maule) / Sassaia 2022 Garganega主体 火山性土壌 / 短い果皮浸漬・野生酵母・大樽発酵 / 無濾過 / SO2極少量 Gambellara, Veneto, Italia

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Sassaia 2022

Sassaia 2022

ラ・ビアンカーラ

Region
ヴェネト
Grape
Garganega主体
Type
white
Vintage
2022
Serve
10–12℃

無濾過の、ガルガーネガ主体の白。冷えているうちは洋梨と白い花、濡れた石で、果実の丸さの奥に小さな苦み。温度が上がると熟したりんごと蜜がふくらみ、火山性の土地に由来する煙るような石の気配が立つ。最後に果実が引いて、苦みが長く残る。

残りわずか

表示価格は税込

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Sassaia 2022
ラ・ビアンカーラ
¥4,070

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Film

Call Me by Your Name

2017 / IT / Dir. ルカ・グァダニーノ

配信

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レンタル
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2026年9月時点

Wine

ラ・ビアンカーラ / Sassaia 2022

Garganega主体

ヴェネト

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