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水始涸の便り

色が深く、夜が早くなる。余韻は長く残り、ワインは少しずつ温めたくなる。

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水始涸秋分
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恋する惑星 × スーパー・ピンク
恋の色は、スーパー・ピンク。

Love, in super pink.

恋する惑星

幕間に一杯、
Rosé — ブルゴーニュ

恋する惑星
× スーパー・ピンク

Chungking Express, 1994 — ウォン・カーウァイ
prologue
雨に濡れた軽食店の窓越しに流れる香港の夜の人波
肩が触れても、誰も振り返らない

午後十一時四十分。

雨は、少し前にやんだ。窓ガラスにはまだ水の粒が残っていて、向かいのビルの看板の赤が、そこに小さく滲んでいる。

冷蔵庫を開ける。白い灯りの中に、瓶が一本だけ立っている。ラベルに、大きな字で「SUPER PINK」。

注ぐと、名前ほど派手な色ではない。向こうが透けるほど淡い、サーモンピンク。オレンジを一滴だけ溶かしたような色だ。

一口。冷たい。オレンジの皮と、赤い実。細い酸が、舌の横をまっすぐ走っていく。

名前は大声なのに、色と味は小声だ。言いたいことを言えないまま、口の中にしまっている人みたいに。

1994年、香港。

重慶大厦の雑踏を、ひとりの刑事が走り抜けていく。肩がぶつかる。誰も振り返らない。ネオンが引き伸ばされて、後ろへ流れていく。

その中で、彼はひとりの女とすれ違う。金髪のかつらに、レインコート、サングラス。

いちばん近づいたとき、二人のあいだは0.01センチだった、と彼の声が言う。


wine
Super Pink 2022 / フレデリック・コサール
Super Pink 2022 / フレデリック・コサール

一杯の肖像

グラスを窓辺に置いて、少し眺める。

冷蔵庫の灯りの下では淡いピンクだったのに、外の看板が点滅するたびに、赤くも、オレンジにも見える。輪郭が、少しだけ曖昧だ。

冷たいうちは、オレンジの皮と赤い実、それに白い花。酸はきゃしゃに見えて、しぶとい。飲みこんだあとも、じわっと舌に残る。

少し置く。手の温度が移ってくると、香りの底から、干したいちじくが出てくる。焼いたパンの皮。オレンジは皮から、砂糖で煮たオランジェットに変わる。最後に、みりんのような、甘く熟れた匂いがふっと立つ。

同じグラスなのに、さっきとは別の夜の匂いがする。

葡萄は、サンソー。南フランス、ヴァントゥー山のふもとで、有機で育てた樹から手で摘んだもの。房をそのまま搾って、果皮には漬けない。自然の酵母で三ヶ月かけて発酵させ、卵のかたちのセメントタンクで八ヶ月、ステンレスのタンクで一ヶ月。亜硫酸も足さず、濾過もせずに瓶に詰める。

造ったのは、フレデリック・コサール。ブルゴーニュのサン=ロマンで、世界中のワインリストが取り合う繊細なピノ・ノワールを造る人だ。その人が、南の葡萄を買って、肩の力を抜いて仕込む。

『恋する惑星』も、ウォン・カーウァイが武侠大作『楽園の瑕』の編集に行きづまった合間に、脚本を書き終えないまま撮った映画だった。本業の合間の、息抜きの仕事。そういうものが、ときどき、いちばん長く愛される。


pairing
香港の売店で静止したパイナップル缶の脇を通り過ぎる人々
止まった期限のそばを、夜だけが流れていく

なぜ、恋する惑星に、スーパー・ピンクなのか

期限が切れたあとに、甘さが来る。

4月30日 — 冷たいうちに

刑事223号は、四月一日に恋人にふられた。

エイプリル・フールの冗談だったことにして、彼は毎日、店でパイナップルの缶詰を一つ買う。彼女の好きだった果物。賞味期限は、五月一日。彼の誕生日だ。

その日までに彼女が戻らなければ、この恋も期限切れにする。

泣かないように、彼は走る。走って汗をかけば、体の水が抜けて、涙にならないから。公衆電話から、昔の知り合いの女の子に順番に電話をかける。誰も、つかまらない。

四月三十日の夜。彼は、三十個の缶詰をひとりで全部たいらげる。

グラスは、まだ冷たい。舌の横を、細い酸が走っていく。缶詰のシロップの甘さではない。果物を切ったときの、いちばん最初の、酸っぱいところだ。甘さは、まだ奥に隠れている。

それから彼はバーに入って、次にこの店に入ってきた女を好きになる、と決める。

入ってきたのは、金髪のかつらの女だった。

取引にしくじって、誰にも頼れない夜だった。ホテルの部屋で、彼女は靴を履いたまま眠ってしまう。朝になる前に、彼はその靴を脱がせる。自分のネクタイで、きれいに拭いてから、部屋を出ていく。

五月一日。ポケベルが鳴る。誕生日おめでとう、と、彼女から。

期限の日に届いたのは、終わりの知らせではなかった。

0.01センチ

雑踏の中で、彼はもうひとりの女ともすれ違っている。

食堂「ミッドナイト・エクスプレス」の、短い髪の店員。フェイ。

いちばん近づいたとき、二人のあいだは0.01センチだった。その数時間後、彼女は別の男を好きになる。

グラスを持つ指先が、少し温かくなってきている。

午後、蛍光灯の下で — ぬるくなって

刑事663号の恋人は、飛行機の客室乗務員だった。ある日、彼女はいなくなる。

彼は、部屋の石鹸に話しかける。ずいぶん痩せたな、と。濡れたタオルには、泣くなと言う。

元の恋人は、店に手紙を一通預けていく。封筒の中には、彼の部屋の鍵。彼はそれを受け取らない。

鍵は、フェイのエプロンのポケットに入る。

蛍光灯の下、大音量の「California Dreamin'」。カウンターの中で、フェイは体を揺らしている。音楽はあんなに大きいのに、言いたいことは、ひとことも口にしない。

彼の留守に、フェイは部屋に入る。水槽の金魚を入れ替える。いわしの缶詰のラベルを、別のラベルに貼り替える。タオルを替えて、ぬいぐるみを一つ増やす。彼は、しばらく気づかない。

グラスは、ぬるくなっている。冷たいうちは奥に隠れていた干したいちじくと、パンの皮が、表に出てくる。オレンジの皮は、砂糖で煮たオランジェットになる。

冷蔵庫の灯りの下で見た、あの小声のピンクは、こんな甘さをしまっていた。フェイが部屋に残していった変化と同じで、気づくのは、少し遅れてからだ。

一年後 — 底のほう

663号は、フェイを「カリフォルニア」という名の店に誘う。

雨の夜。彼は待つ。フェイは来ない。

代わりに渡されたのは、紙ナプキンに手で描いた搭乗券。日付は、一年後。

グラスの底に、あとひとくち。すっかり手の温度になって、最初の冷たさはもうない。それでも、あの細い酸は消えていない。いちじくの甘さの下で、じわっと舌に残っている。

淡いロゼなら、世の中にいくらでもある。冷たいうちだけおいしいロゼも。

このピンクは、冷たさが引いたあとに、もうひとつの顔を見せる。223号の缶詰も、フェイの搭乗券もそうだった。期限が来たあとで、話が始まる。

だからこの一本は、重慶大厦の雑踏から一年後のカウンターまで、同じグラスで付き合える。


terroir
ヴォークリューズの石壁沿いに続く乾いた農道と風に揺れる枝
乾いた石と風のあいだを歩く

ヴォークリューズを旅する

ヴァントゥー山は、南フランスの平野から、ひとつだけ突き出た山だ。頂のあたりは石灰岩がむき出しで、夏でも雪をかぶったように白く見える。北から吹き下ろすミストラルが、ふもとの畑を乾かしていく。

ヴェゾン=ラ=ロメーヌは、そのふもとの古い町だ。ローマ時代の石橋を、いまも人が歩いて渡っている。まわりには、粘土と石灰の丘、オリーブ、そして葡萄。

サンソーは、この乾いた土地でいちばん気楽な黒葡萄だと言われてきた。日照りに強く、よく実り、味は軽い。大物にはなれない。けれど、摘んですぐに搾ってロゼにすると、その軽さがいちばん生きる。

2022年の夏は、ひどく乾いた。葡萄は早く熟して、九月一日に摘み取られた。房は小さく、実は少なかった。

雨も、ネオンも、雑踏もない。湿った香港の夜とは、正反対の土地だ。乾いた石と、風だけがある。

グラスの最後まで舌に残る、あの細くてしぶとい酸は、その乾いた夏の、小さな実から来ている。


how to drink
香港の古い窓辺に残された一杯の淡いピンクのロゼ
開けるなら今夜。街が流れているうちに

この映画の夜に

帰り道に、パイナップルの缶詰を一つ買う。棚から取るとき、賞味期限をちらりと確かめる。

夜食は、春巻きか、海老のビーフン。屋台の味がいい。なければ、ポテトチップスとオリーブで。

ボトルは、冷蔵庫でしっかり冷やしておく。グラスは、気取らないタンブラーで。ミッドナイト・エクスプレスのカウンターに並んでいそうな、厚手のコップがちょうどいい。

再生する。重慶大厦の雑踏で、冷たい一口を。フェイがカウンターで体を揺らすころ、グラスを手で包んで、いちじくが出てくるのを待つ。

紙ナプキンの搭乗券が出てきたら、缶詰を開ける。

パイナップルをひと切れ。それから、ぬるくなったピンクを。

缶詰の甘さに、いちじくの甘さが重なる。


epilogue

.

一年後、フェイは制服を着て戻ってくる。

663号は、あの店を買い取っていた。

雨に濡れて滲んだ搭乗券の代わりに、彼女は新しい一枚を書く。行き先は、と聞かれて、彼は答える。きみが連れていきたいところへ。

空になった瓶を、流しの横に立てる。

窓ガラスの水の粒は、もう乾いている。


Film

恋する惑星 / 重慶森林 / Chungking Express 1994 / 香港 / 100分 監督: ウォン・カーウァイ 撮影: クリストファー・ドイル, アンドリュー・ラウ 出演: 金城武, ブリジット・リン, トニー・レオン, フェイ・ウォン

配信
見放題 Netflix / U-NEXT / Netflix Standard with Ads
レンタル Prime Video
2026年9月時点 · JustWatch

Wine

Frédéric Cossard / Super Pink 2022 Cinsault 100% 直接圧搾・自然酵母 / 卵型セメントタンク8ヶ月、ステンレスタンク1ヶ月 亜硫酸無添加・無濾過 Ventoux, Vaucluse, France

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Super Pink 2022

Super Pink 2022

フレデリック・コサール

Region
ブルゴーニュ
Grape
Cinsault 100%
Type
rosé
Vintage
2022

サンソー

残りわずか

表示価格は税込

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Super Pink 2022
フレデリック・コサール
¥5,500

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Film

Chungking Express

1994 / HK / Dir. ウォン・カーウァイ

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Wine

フレデリック・コサール / Super Pink 2022

Cinsault 100%

ブルゴーニュ

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