冷蔵庫から出したボトルを、テーブルに置く。 脚のついたグラスは見当たらない。台所の、水を飲むコップでいい。
コルクを抜く。
注いでいる。
途中が、ない。
1960年、ゴダールはそういう映画を撮った。人が歩き出してから着くまでを、律儀に映さない。会話の途中で、画面が平気で飛ぶ。
1959年の夏の終わり、シャンゼリゼ。ボーダーのシャツを着た女の子が、新聞を胸に抱えて歩いてくる。「ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン!」。アメリカ訛りの呼び声。
その隣に、帽子を斜めにかぶった男が並ぶ。煙草をくわえたまま、親指で唇をなぞる。映画館のポスターで覚えた、ボガートの真似だ。
男の名前はミシェル。ポケットには、人に言えないことがひとつある。女の子の名前はパトリシア。彼女はまだ、何も知らない。
一口目。冷たい。潰した苺が、まっすぐ喉を通っていく。
唇に、赤がひとしずく残る。 気づくと、あなたも親指でそれを拭っている。

一杯の肖像
コップの中の赤を、窓の光にかざしてみる。
少し濁った、紫がかった赤。縁のところで、光が粗く割れる。磨き上げられた赤ではない。モノクロの画面の隅に置いても浮かない、粒子の粗い赤だ。
もう一度、鼻を近づける。潰した苺と、ラズベリー。その奥に、すみれ。さらに奥に、雨上がりの土と、ひとつまみの胡椒。
二口目。果実が舌の上で弾んで、するりといなくなる。重さを残さない。そのかわり喉の奥に、墨を一滴落としたような陰が、すっと残る。
ガメイ60%に、コー40%。明るく弾む果実はガメイの仕事で、あの陰はコーのものだ。
造ったのは、ロワールのレ・モンティル村に15世紀から続くピュズラ家。1990年代にこの家を継いだ兄弟は、当時としては非常識な道を選んだ。1996年に有機栽培へ切り替え、醸造では亜硫酸を加えるのをやめた。自然派ワインという言葉が、まだ笑われていた時代に。
いま蔵を率いるのは弟のティエリーと、その二人の娘たちだ。テュ・ブッフの名前は、世界中のビストロと若い造り手たちのあいだで、引用され続けている。
ラベルに、AOCの名前はない。ヴァン・ド・フランスとだけ書いてある。規則の外に出たワインに許される、いちばん素っ気ない名前だ。

なぜ、勝手にしやがれにこの赤なのか
速いのに、影がある。
シャンゼリゼ
ミシェルはパトリシアの隣を歩きながら、一緒にローマへ行こうと誘う。彼女は笑ってかわす。ソルボンヌに登録しなきゃ、新聞社で書く仕事もしたいの、と。
画面は落ち着かない。手持ちのカメラが二人を追い、通行人がちらりとレンズを見ていく。許可もなく撮られた、本物のパリの午後だ。
会話の途中で、映像が飛ぶ。車の助手席に座るパトリシアの後ろ姿に、何度も何度も、はさみが入る。ミシェルの声だけが途切れずに、彼女のうなじや肩のことを喋りつづけている。
あなたのグラスも、この速度で減っていく。冷たいうちのこの赤は、果実がまっすぐで迷いがない。噛まずに飲み込めるほど、軽い。
ブドウは房のまま、潰さずにタンクへ入れられる。長い抽出で重い言い回しを重ねるかわりに、果実のいちばんいいところだけが瓶に継がれる。ゴダールが退屈な部分をはさみで飛ばしたように、このワインも途中を飛ばして、あなたのところへ届く。
ホテルの部屋
そして映画は、ふいに止まる。
パトリシアが泊まっている、ホテルの小さな部屋。帰ってくると、ミシェルがベッドに寝ころんでいる。それから二十五分ちかく、カメラはほとんどこの部屋を出ない。
二人は煙草を吸い、シーツにくるまり、どうでもいいことを喋る。彼女はルノワールの少女のポスターを顔の横にかざして、私とこの子、どっちがきれい?と聞く。
フォークナーの一節を、彼女は読みあげる。悲しみと虚無のどちらかなら、私は悲しみを選ぶ。
あなたは?と聞かれて、ミシェルは虚無だと答える。悲しみなんて、ばかげてる。
パトリシアは、ミシェルの顔をじっと見る。この顔の裏に何があるのか、知りたい。でも、いくら見てもわからない。
このあたりで、注ぎ足す。
コップは手の温度を吸って、ワインは少しぬるくなっている。苺の明るさが一歩下がり、その後ろから、さっきまでは見えなかったものが出てくる。すみれ。湿った土。そして墨の一滴の陰が、さっきより少しだけ濃い。
コーの陰だ。
軽くて、速くて、ごくごく飲める。それなのに、顔の裏に何かがある。パトリシアがミシェルの顔に探していたものを、あなたはコップの底に見つける。
いくらでも飲めるガメイなら、世の中にたくさんある。この一本をこの映画の隣に置くのは、この陰があるからだ。
カンパーニュ・プルミエール通り
翌朝、パトリシアは警察に電話をかけ、ミシェルの居場所を告げる。彼を愛しているのかどうか、自分で確かめるために。
そのことを彼女の口から聞いても、ミシェルは逃げない。
カンパーニュ・プルミエール通り。背中を撃たれたミシェルは、よろめきながら石畳をどこまでも走り、交差点で倒れる。追いついたパトリシアを見上げて、二人でふざけ合ったしかめ面をしてみせる。「本当に最低だ」。そして自分の手で、まぶたを閉じる。
終わりのころ。開けてから時間のたったワインは、果実が引いて、土と胡椒の骨組みが見えてくる。華やかさはもうない。残るのは、正直な味だけだ。
警官が、彼の最期の言葉をパトリシアに伝える。「あなたは最低だ、と」。少しだけ、言葉が変わっている。
パトリシアは聞き返す。最低って、どういう意味?
そして、親指で唇をなぞる。
こちらを見る。 カメラを。つまり、あなたを。

ロワール・シュヴェルニーを旅する
あの陰は、どこから来たのだろう。
パリから南西へ2時間。ロワールの流域には古城が点在していて、シュヴェルニー城はタンタンの「ムーランサール城」のモデルになった。絵本のように貴族的な風景だ。
そこから少し外れた森の縁に、レ・モンティルという小さな村がある。ソローニュの森に接して、地面は粘土と、火打石と呼ばれるシレックス。冷たく湿った、ひと癖ある土地だ。ピュズラ家はこの村に、15世紀から暮らしている。一族のワインは、フランソワ1世とクロード王妃の食卓にも上ったと伝えられる。
ゴダールは、カメラを持つ前は批評家だった。『カイエ・デュ・シネマ』で古い「良質な映画」を罵倒しつづけたのは、映画を愛しすぎていたからだ。ピュズラ家の兄弟が添加物を捨てたのも、たぶん同じ理由だった。500年この土地に続く一族の味を、化学の厚化粧で覆いたくなかった。伝統を愛しすぎて、慣習を壊した。
ヴァン・ルージュのブドウは、本拠地をとりまくシェール川流域の、有機で育てられた畑から集められる。AOCの線の内側にこだわらず、いいブドウのあるところへ行く。規則に縛られないぶん、その年いちばん生き生きした果実を選べる。
冷涼なこの土地では、ガメイは軽やかに、コーは野性を残したまま熟す。コーは南西地方でマルベックと呼ばれ、南の太陽の下では黒々と重いワインになる品種だ。それがロワールの冷たい空気の中では、墨絵の影くらいの濃さで止まる。
ガメイの天真爛漫さに、ふっと差す影。セバーグの笑顔と、その奥の読めない目。この映画の二人と、同じバランスだ。
パリのビストロの黒板に、テュ・ブッフの名前がチョークで書かれていたら、その店は信用していい。60年代のシネフィルが『カイエ』を信用したのと、同じ種類の信用だ。

この映画の夜に
夜の9時すぎ。ボトルは冷蔵庫で30分ほど冷やしておく。12〜14℃、ビストロのカラフェくらいの、少しひんやりした温度だ。室温まで戻さないこと。温まりすぎると、この赤の速さが鈍る。
コップを二つ。脚つきのグラスでなくていいけれど、口の薄いもののほうが、苺の明るさがまっすぐ届く。
テーブルには、角の総菜屋で買えるようなものを。リエット、パテ・ド・カンパーニュ、バゲット。ハムとバターだけでもいい。煮込みより、シャルキュトリ。
再生する。シャンゼリゼの呼び声で注ぐ。ホテルの部屋で、注ぎ足す。あの二十五分だけは、急がずに飲む。
映画は90分。二人で一本を開けると、パトリシアがこちらを振り向くころ、ボトルがちょうど空になる。
.
エンドロールはない。「FIN」の文字が出て、それで終わりだ。
コップの底に、赤が少しだけ残っている。 飲み干す。 唇に、ひとしずく。
あなたは親指で、それを拭う。
ミシェルの仕草。パトリシアの仕草。 いまは、あなたの仕草だ。
Film
勝手にしやがれ / À bout de souffle / Breathless 1960 / フランス / 90分 監督・脚本: ジャン=リュック・ゴダール 原案: フランソワ・トリュフォー 撮影: ラウール・クタール 出演: ジャン=ポール・ベルモンド, ジーン・セバーグ 受賞: ベルリン国際映画祭 銀熊賞(監督賞)
配信
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Wine
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